レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年05月12日
- 登録日時
- 2012/08/12 10:43
- 更新日時
- 2012/08/12 10:43
- 管理番号
- 20120422-1
- 質問
-
解決
「北陸七国志 加能越軍記集」(歴史図書社 発行)の資料の意味を知りたい。
小松軍記 232ページ上段六行目
1 『屏ヲ塗柵ヲ結。櫓ヲ作リ城戸ヲ建。』とありますが「屏を塗」は土塀に壁土を塗ることと理解してよろしいか?
2 「柵ヲ結」は木柵を作り構えることでよろしいか?
3 「城戸ヲ建」は小さな枡形門と理解したいですが、よろしいですか。
- 回答
-
(1)『前田利家・利長軍記 日本合戦騒動叢書 14』青山克弥[訳]著 勉誠出版 1999.5(請求記号K393/1008)に「小松軍記」の現代語訳が収録されています。
これによると(p198)、「長重が当城に移ってから、本丸の土台の高さを九尺に嵩上げして水難に備え、塀を塗り柵を結いめぐらし、櫓をつくり城門を設け、それまで三層であった天守閣を五層に改築した。」とあります。
(2)当時の小松城に関する細部につきましては、『新修小松市史 資料編1 小松城』新修小松市史編集委員会編 小松市 1999.3(請求記号K226/1001/2-1)p345によると、「村上頼勝が織田信長の命令により小松城主となり、以後丹羽長重城主、前田家城代と続く六十年間については、当時の城郭を描いた絵図が乏しく史料と成り得るものは未だ知られていない。」とされています。
(3)このほか、『小松市小松城跡』 石川県埋蔵文化財センター〔編〕 石川県教育委員会 2007.3(請求記号K202.5/1458)、『小松城跡発掘調査報告書』石川県小松市教育委員会編集 石川県小松市教育委員会 2011.3(請求記号K202.5/1548)の2冊の発掘報告書もありますが、当時の塀や城門に関する記述はありません。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 北陸地方 (214 9版)
- 参考資料
-
- 『前田利家・利長軍記 日本合戦騒動叢書 14』青山克弥[訳]著 勉誠出版 1999.5(請求記号K393/1008)
- 『新修小松市史 資料編1 小松城』新修小松市史編集委員会編 小松市 1999.3(請求記号K226/1001/2-1)
- キーワード
-
- 小松軍記
- 小松城
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000109859