レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2003/02/28
- 登録日時
- 2010/10/07 02:00
- 更新日時
- 2010/12/07 17:20
- 管理番号
- 広県図20100043
- 質問
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原爆慰霊碑碑文について,論争があったと聞いたことがあるがどのようなことだったかも知りたい。
- 回答
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原爆慰霊碑は昭和27(1952)年8月6日に除幕された。碑文については広島大学教養部雑賀忠義教授の作でできたと,7月22日に新聞報道にある。
『年表ヒロシマ』の索引に「原爆慰霊碑」があり,関連の新聞記事を追うことができる。碑文を見たインドのアール・B・パル博士が,「原爆投下の罪悪について日本人は,はっきりアメリカ人に知らさなければならない」と,1952年8月6日の完成から4か月たった時期に抗議した,との記述が参考資料(1)にある。
参考資料(2)には「碑文を正す会」についての記述がある。平成17(2005)年7月26日に碑文が損壊される事件が起こった。この事件に関連して,中国新聞に「碑文を読み込む契機に」との社説が掲載された。
平成22年には雑賀教授の碑文英訳の直筆の書が発見された。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 9版)
- 外交.国際問題 (319 9版)
- 参考資料
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- (1)『岩波講座近代日本の文化史 8』 〔小森 陽一/ほか編集委員〕 岩波書店 2002.11 (p339 インドのパール博士の抗議や「碑文を正す会」についての記述がある。 (ID:1005057979 ))
- (2)『核・天皇・被爆者』 栗原貞子/〔著〕 三一書房 1978.07 (p83-84,p113-114「碑文を正す会」についての記述がある。 (ID:1001760089 ))
- (3)『年表ヒロシマ』 中国新聞社/編集 中国新聞社 1995.07 ((ID:1004013338 ))
- (4)『廣島高等學校創立六十年記念青春回想録』 広高青春回想録編集委員会/編 広島高等学校同窓会 1983. (p.608-614「雑賀先生の原爆碑文」 (ID:1003868369 ))
- (5)『中国新聞』 2007.11.4 ((今を読む)舟橋喜恵 碑文論争の「今日的意味 原爆投下責任に決着を」 (ID:))
- (6)『広島の碑をめぐる闘いの記録』 藤井一郎/編著 海内興論 1971. ((ID:1003868229 ))
- (7)『ヒロシマの碑』 宅和 純/著 広島県教育用品 1996.05 (p208-209 原爆慰霊碑(広島平和都市記念碑) (ID:1004278469 ))
- (8)『広島新史編集手帖』 NO.1 (p24-28 「原爆慰霊碑・碑文の蔭に」 小堺吉光/著 (ID:))
- (9)『中国新聞』 2010.5.24 (社会面:「碑文英訳直筆の書 広島で2種類4作発見 原爆慰霊碑「安らかに眠ってください・・・」考案の雑賀教授」 (ID:))
- (10)『毎日新聞』 2010.7.31 (「原爆慰霊碑 直筆英訳 考案者の広大教授 色紙など見つかる」 *白黒写真あり。 (ID:))
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000072057