レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012/02/19
- 登録日時
- 2012/03/02 02:00
- 更新日時
- 2012/03/15 16:47
- 提供館
- 京都市図書館 (2210023)
- 管理番号
- 右中-郷土-47
- 質問
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解決
京都市伏見区の戦争遺跡について書かれた本を探している。
- 回答
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戦争遺跡とは,近代日本の戦争とその遂行過程で,戦闘や事件の加害・被害・反戦抵抗にかかわって形成され,現在に残された構造物・遺構や跡地のことです。
日本では明治時代,日露戦争の準備のために軍備が拡張され,各地に軍事施設が建設されました。京都市では,日露戦争中に結成された師団(しだん:軍隊の総合的な機能を持ち,陸軍の主要な職種をひとまとめにした諸職種連合の部隊)の一つである陸軍第十六師団が,明治41年(1908)に伏見区深草地区に着営されることになりました。
現在の伏見区田谷町(たやちょう)に師団司令部が置かれ,司令部から南に騎兵隊,陸軍病院,歩兵連隊を設置し,兵器輸送などの軍用道路として伏見街道(本町通)の西側にある道路が師団街道(しだんかいどう)として整備されました。師団街道のほか,第一軍道・第二軍道・第三軍道といった高架道路も建設され,各施設の連絡が円滑に図れるように整備され,師団街道の西側に沿って京都兵器支廠(ししょう:保管・収納施設),京都練兵場,砲兵連隊などの陸軍の各部隊が定着しました。
第二次世界大戦後は陸軍第十六師団に属するすべての軍事施設は解体されることになり,陸軍が占有していた広大な跡地の多くは払い下げられ,現在は教育研究施設や住宅,公共施設などが建設されています。
現在も伏見区では師団街道,第一軍道といった当時の名前が使われているほか,第十六師団の司令部や長官舎,伏見区の墨染・桃山地区に設けられていた陸軍水道(現在は京都市上下水道局の配水池)などの戦争遺跡があります。
- 回答プロセス
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●戦争遺跡について当館所蔵資料を調査。【資料1】~【資料6】
●京都市伏見区について当館所蔵資料を調査。【資料7】~【資料15】
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 8版)
- 近畿地方 (216 8版)
- 参考資料
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- 【資料1】『京都の「戦争遺跡」をめぐる 新装版』(池田一郎著 つむぎ出版 1996)
- 【資料2】『語りつぐ京都の戦争と平和』(戦争遺跡に平和を学ぶ京都の会 つむぎ出版 2010)
- 【資料3】『しらべる戦争遺跡の事典』(十菱駿武編 柏書房 2002)p205~206“陸軍第一六師団跡”,p207~208“師団街道と第一・第二・第三軍道”
- 【資料4】『しらべる戦争遺跡の事典 続』(十菱駿武編 柏書房 2003)p399~405“京都府の戦争遺跡”
- 【資料5】『日本の戦争遺跡 保存版ガイド』(戦争遺跡保存全国ネットワーク編著 平凡社 2004)p205~207“京都第一六師団跡”
- 【資料6】『戦争遺跡は語る』(戦争遺跡保存全国ネットワーク かもがわ出版 1999)p39~43“近畿の戦争遺跡”
- 【資料7】『京都大事典』(淡交社 1984)p462“師団街道”,p573~574“第十六師団”
- 【資料8】『伏見学ことはじめ』(聖母女学院短期大学伏見学研究会編 思文閣出版 1999)p170~176
- 【資料9】『伏見五十年のあゆみ』(伏見区五十周年記念行事実行委員会 1981)p11
- 【資料10】『伏見の歴史と文化』(聖母女学院短期大学伏見学研究会 2003)p38~39
- 【資料11】『京都府誌 下』(京都府 1974)p289~293
- 【資料12】『京都を楽しむ地名・歴史事典』(森谷尅久著 PHP研究所 2011)p344~345
- 【資料13】『京都府紀伊郡誌 京都府郷土誌叢刊 第3冊』(京都府紀伊郡役所 臨川書店 1984)p230~233“深草村 総論”
- 【資料14】『史料京都の歴史 16 伏見区』p56,p261~262
- 【資料15】『京都府百年の年表 1 政治・行政』(京都府立総合資料館 京都府 1971)p15~16“舞鶴鎮守府と第16師団の設置”,p176~177“明治41(1908)年”
- キーワード
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- 戦争
- 日露戦争
- 遺跡
- 戦争史跡
- 戦跡
- 軍事遺跡
- 軍跡
- 師団街道
- 軍道
- 師団
- 伏見
- 墨染
- 桃山
- 深草
- 日露戦争
- 第16師団
- 支廠
- 陸軍
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000102329