レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2011/11/01 15:07
- 更新日時
- 2011/11/02 12:51
- 管理番号
- 鳥栖参-018
- 質問
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解決
鳥栖市牛原町にある「敵味方供養址記念碑」は、いつ、何の目的で作られたものなのか。
- 回答
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昭和11年、肥前史談会の発起により建設。
戦国時代「薩摩の島津義久」と「勝尾城主筑紫広門」が戦をした際、両軍で多くの死傷者が出た。
これを受け、「義久は両軍の死者を葬り冥福を祈るため」、「供養塔を建立した」と伝わっているが、
記念碑建設当時、その場所に碑石はなくなっていた。
肥前史談会は「武士の道の一面たる博愛仁慈の精神を汎く世に紹介するべく」、
「敵味方供養址記念碑」を建設した。
(「」内、『肥前史談 第10巻』 11号p11より旧字体を新字体に直して引用)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- A092.0/ヒ 『肥前史談 第10巻』 1985年刊
- キーワード
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- 鳥栖市-牛原町
- 肥前勝尾城の戦い
- 敵味方供養址記念碑
- 島津 義久
- 肥前史談会
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000096114