レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2008/11/28 02:10
- 更新日時
- 2008/11/28 02:10
- 管理番号
- B2008Y個0026
- 質問
-
解決
長崎県の在来馬“対州馬”に関する資料を探しています。対州馬のルーツや交雑について、対州馬に関する当時の馬政局の政策などを調べています。
- 回答
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当館では馬政局が発行した文書をほとんど所蔵しておりません。本回答では、馬政局の当時の政策や対州馬の由来や交雑についての情報が掲載されていた資料を紹介します。
調査にあたっては、NDL-OPAC( http://opac.ndl.go.jp/index.html )の「一般資料の検索/申込み」でタイトルに「馬政局」、「在来馬」などのキーワードを入れて検索してヒットした資料を中心に調査を行いました。なお、対州馬の交雑について、馬政局から具体的にどのような命令が出たか、どの程度交雑されたかなどの詳細な情報は見当たりませんでした。【 】内は当館請求記号です。
(1) 『馬政局事業概要. 第4,5次』(〔馬政局編〕 〔馬政局〕 〔大正4-8〕 【YD5-H-14.2ロー94】(マイクロフィッシュ))
この資料は当館ホームページ内の近代デジタルライブラリー( http://kindai.ndl.go.jp/index.html )でも閲覧することができます。ページの後ろの( )内は近代デジタルライブラリーにおけるコマ数です。
・[第1冊]の38p(24コマ)「第八章 馬匹改良ノ功程」
( http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=43001788&VOL_NUM=00001&KOMA=24&ITYPE=0 )
・[第2冊]の55p(31コマ)「第八章 馬匹改良ノ功程」
( http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=43001788&VOL_NUM=00002&KOMA=31&ITYPE=0 )
上記に、馬種の改良事業の概要が記載されています。在来馬を洋種の馬と交雑させることにより、体格の大きい馬が増加したことが図表とともに記載されています。また、対州馬に関する直接的な言及はないものの、日本の在来馬は体格が貧弱であるために、1度の配合だけでは不十分であり、交雑を重ねることによって改良を続けるべきであるなどの記述があります。
(2) 『対馬の在来馬対州馬』(林田重幸著 日本中央競馬会 1972 【RB611-4】)
pp.12-27の「対州馬の雑種化」で対州馬の交雑の状況が解説されています。他種との交雑の過程が記されているほか、pp.20-21には、対馬産馬協議会で決定した「対馬馬産方針」が掲載されています。この方針には、「供用種牡馬」の項に“若干の「アラブ」血種馬を混用して体型を調節し、資質の向上を促進せしめ、所期の目的に漸進するものとす。”との記述があり、続いて「種牡馬の頭数及補充」の項に“対馬馬の生産頭数は約300頭乃至400頭にして、土地の状況等により差異はあるも、先ず産駒15頭を得るために1頭の種牡馬を要するものとし、総数30頭の種牡馬を必要とす。10分の1補充として年々3頭の補充を要す。”と記述されています。
また、p.21には、“以上のように、昭和4年当時は、全島の馬が殆んど純粋な在来馬であったが、上記改良方針に従って昭和6年に種子島産アングロアラブ雑(第一明日)が上県郡に、昭和10年に島原産アングロノルマン雑(若錦)が導入され、雑種化が進むとともに、昭和12年、種牡馬検査法と馬匹去勢法の適用、昭和14年6月種馬統制法の施行により、内地産中半血種を配置したため雑種化が急ピッチに進められ、特に上県郡に著しい。”と記述されています。
(3) 『日本在来馬の系統に関する研究 : 特に九州在来馬との比較』(林田重幸著 日本中央競馬会 1978 【RB611-30】)
pp.25-37の「第3節 対州馬」で、対州馬の産地の概況や由来などが解説されています。pp.27-28の「対州馬の由来」では、対州馬の起源や改良の歴史が記述されており、時系列でどのような品種の馬が交雑のために持ち込まれたかなどが分かります。また、内地馬政計画に呼応する形で改良が行われたことなども記述されています。
(4) 『内地馬政計画提要』(馬政局 1938 【DM434-H53】)
昭和13年に馬政局が刊行した資料で、当時の馬政計画の概要をまとめた資料です。pp.7-9に、「内地馬政計畫實施要領」が掲載されています。また、pp.11-17には、「馬改良方針」が掲載されており、馬の用途ごとに配合すべき馬種や、改良する際の種馬配合要領などを示しています。pp.19-50は「地域的役種別産馬方針」となっており、対馬が該当する「上縣郡 下縣郡」については、役種を「小格輓馬」とし、摘要は“一般ニ體躯矮小ナルモ肢蹄堅牢ナルヲ以テ特ニ地低ナル小格中間種種牡馬ヲ供用シ強健ナル實用馬の生産ヲ期スベシ”(一部旧字を新字に改めています)とあり、中間種の種馬と掛け合わせて強健な馬を生産するという方針が示されています。
以上のほか、当館で契約している科学技術文献データベースであるJDreamⅡで、対州馬に関する文献を検索したところ、以下の資料に、ご照会の事項に関する情報が掲載されていました。
(5) 土田武夫:「日本在来馬の現状と保存への取り組み」(『畜産技術』 No.576 Page.44-46 (2003.05.01) 【Z18-529】)
対州馬を含む日本在来馬8馬種を簡潔に紹介しています。冒頭の「1.日本在来馬とは」で、「日清・日露の両戦役で在来馬は、体格が矮小で軍用価値が低かったことから、明治39年に馬政第一次計画により、馬産振興と改良が進められた。そのなかで馬格の大格化が進められ、このため在来馬の頭数は大きく減少した」と述べられています。「対州馬」の項では、性質や頭数減少(昭和40年:1,182頭 → 平成12年:29頭)について記載されているものの、馬政局による交雑については記載されていません。
(6) 石崎彰徳:「対州馬の沿革と保存振興政索について」(『畜産技術』 No.428 Page.26-29 (1991.01) 【Z18-529】)
p.27の「表1 対州馬の歴史(~昭和47年)」に、紀元前から昭和に至るまでの対州馬の歴史が年表形式で記されています。交雑に関しては、“明治24年(1891)には、韓国種雄9頭入れたが産駒成績不良で中止。その後、鹿児島、島原より種雄を導入、改良が試みられた。”という記述に始まり、昭和4年(1929)“馬政局指導の下に、対馬産馬方針を示し、昭和6年には種子島産アングロアラブ雑種種雄馬(体高146.4cm)を、昭和10年(1935)には島原産アングロノルマン雑種種雄馬(体高145cm)を導入して改良を図った。”などの記述があります。
なお、馬政局は明治39年(1906)~明治43年(1910)が内閣総理大臣の直轄機関、明治43年(1910)~大正12年(1923)が陸軍省の外局、昭和11年(1936)~昭和20年(1945)が農林省の外局となっているようなので、以下の機関に問い合わせるのもよいかと思われます。
・国立公文書館( http://www.archives.go.jp/ )
国の機関で作成された膨大な公文書の中から、歴史資料として重要なものを保存、一般公開しています。所蔵資料の検索は、デジタルアーカイブのページ( http://www.digital.archives.go.jp/ )から行うことができます。
・防衛省防衛研究所( http://www.nids.go.jp/index.html )
旧陸軍省の資料を所蔵しており、史料閲覧室で閲覧可能のようです。
( http://www.nids.go.jp/military_history/military_archives/ )
・農林水産省図書館( http://www.library.maff.go.jp/index.jsp )
農林省馬政局時代の資料を多数所蔵しているようです。一般の方の利用も可能なようです。
※インターネットの最終アクセス日は2008年3月24日です。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 家畜.畜産動物.愛玩動物 (645 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 馬
- 馬 -- 歴史
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000049316