レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011年12月14日
- 登録日時
- 2011/12/14 10:56
- 更新日時
- 2011/12/21 17:00
- 管理番号
- 2009-0051
- 質問
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解決
米沢市の上杉神社について記載された資料はあるか。
- 回答
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当館所蔵の資料から、下記の資料をご紹介します。
資料① 大正8年5月、米沢市大火により焼失した神社を大正12年4月に再建されるまでの記録。
資料② 明治中期に刊行された「羽前米沢松岬公園上杉神社之図」の再版されたもの。通行する人の姿が手にとるように描かれています。
資料③ 上杉神社の由縁を開明し、行事、社殿、境内、宝物等について記述したものです。
資料④ P17~20 上杉神社の祭神、由緒、例祭、神紋、社殿・工作物、宝物がまとめて記載されている。
資料⑤ P304~305 上杉神社の由緒、沿革を写真入りで収載している。
資料⑥ P1 上杉神社の社格が「別格官幣社」であることが記されています。
資料⑦ P734~742 上杉神社の由緒沿革、大正12年の再建、宝物について記述されています。
資料⑧ P126 上杉神社が「別格官幣社」に列せられるまでの経過が簡潔に記されています。
資料⑨ P101 資料⑩ P6 上杉神社は上杉謙信を祀る。謙信公が後奈良天皇、正親町天皇の叡感を受けたという事績は歴史的に明白であるということが記されています。
上杉神社(資料⑤より抜粋)
" 鎮座地は米沢市丸の内一丁目四ー十三、主祭神は上杉謙信命。謙信公は、享禄三年越後守護代長尾為景の二男として越後に生まれる。のちに、関東管領上杉憲政の懇望により上杉家の養子となり、関東管領に就任。
道義乱れた戦国の世に生き、「越後の虎、毘沙門天の化身」と恐れられたが、筋目を守り非分を致さざる稀有な名将であった。天正六年、不帰の人となる。
慶長六年、二代景勝公の時代に米沢城中に祠堂を遷し、明治四年上杉氏十代上杉鷹山命を合祀する。同五年上杉神社と称し、同三十五年別格官幣社に列せられる。鷹山命は摂社として松岬神社を創立して祭祀する。
大正八年米沢市大火の際、本殿を始め悉く類焼したが、同十二年米沢出身建築界の泰斗伊東忠太博士の設計により現在の神殿稽照殿を始め一切を竣成した。"
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 神社.神職 (175 9版)
- 参考資料
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- 資料①別格官幣上杉神社再建誌/上杉神社社務所編/1928(YK175.9/ウエ)
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資料②羽前米沢松岬公園上杉神社之図/三扇堂/1975(K175.9/ウゼ)
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資料③上杉神社誌/大乗寺良一/1930(YK175.9/ダイ)
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資料④山形縣神社誌/山形縣編/1943(K175.9/ヤマ)
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資料⑤山形縣神社誌/山形県神社庁編/2000(K175.9/ヤマ)
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資料⑥山形縣神社綜覧/山形縣神職會編/1936(K175.9/ヤマ)
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資料⑦米澤市史/米沢市編/1944(K274.1/ヨネ/1)
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資料⑧山形県名勝誌/山形県編/1968(K290.2/ヤマ)
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資料⑨山形縣史蹟人物と沿線名所/早坂忠雄/1939(YK290.9/ハヤ)
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資料⑩米澤史蹟名勝の栞/大乗寺良一/1936(K297.41/ウエ)
※( )は当館の請求記号です。
- キーワード
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- 上杉神社
- 上杉謙信
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000097735