レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010/05/18
- 登録日時
- 2011/01/08 02:00
- 更新日時
- 2011/01/20 16:08
- 管理番号
- 埼浦-2010-049
- 質問
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解決
平田篤胤が記した「調神社考証」が見たい。
- 回答
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「調神社考証」が掲載されている資料として下記の資料を紹介する。
『さいたま市史料叢書 2 神社明細帳編』(さいたま市 2003)
p1-5 「1 県社 調神社(浦和) 由緒」の中に 「又天保年中平田篤胤此社ニ来リ、旧社記ヲ摘載シ縁記ヲ記ス、」とあり、「調神社考証」に該当する資料が掲載されている。「調神社考証」と明記されていないが、下記の「調神社参拝のしをり」、「調神社 浦和歴史文化叢書4」に一部が掲載されている「調神社考証」と内容が合致するため「調神社考証」と考えられる。
「調神社参拝のしをり」(調神社 出版年不明)
「七不思議」の項に「天保十年十月平田篤胤翁の調神社考証を摘載すれば」とあり、本文の一部が掲載されている。
『調神社 浦和歴史文化叢書4』(青木義脩著 浦和市郷土文化会 1978)
p7-8 天保十年(一八三九)に調神社に参拝した平田篤胤は『調神社考証』に、「その祀る神は天照大御神と宇賀の御魂命との二座なりというはさもありなむ、~」と一部が引用されている。
p28-29 付録 調神社略年表に「天保十年(一八三九)平田篤胤が『調神社考証』をつくる」とあり。
「調神社考証」について言及されている資料として下記を紹介する。
『調神社 さきたま文庫50』(青木義脩著 さきたま出版会 1995)
p8 調神社が伊勢神宮への「みつぎ(御調)」の倉庫から発展したとする説は、天保10年(1839)、調神社に参拝した平田篤胤に始まる。彼は『調神社考証』に、昔、諸国の御調の初穂を収納した社という考えを示した。 との記述あり。
『埼玉史談 第4巻第3号』(埼玉郷土史会 1933)
p212-213 山本一信著「調神社の縁起と篤胤の撰文に就いて」
仍本社には天保十年十一月に平田篤胤の書いた縁起のあった事が明治初年の神社 明細書上げに記されて居る。然し今は其の写があるのみで、実物は失はれて見る事は出来ないとの記述あり。
- 回答プロセス
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自館目録を〈(全項目)調神社〉で検索する。該当資料の調査する。平田篤胤関係資料を調査する。
《埼玉雑索》を〈平田篤胤〉〈調神社〉で検索する。
《NDLリサーチナビ》《GeNii》等を検索する。
- 事前調査事項
- NDC
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- 神社.神職 (175 9版)
- 参考資料
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- 『さいたま市史料叢書 2 神社明細帳編』(さいたま市 2003)
- 「調神社参拝のしをり」(調神社 出版年不明)
- 『調神社』(青木義脩著 浦和市郷土文化会 1978)
- 『調神社』(青木義脩著 さきたま出版会 1995)
- 『埼玉史談 第4巻第3号』(埼玉郷土史会 1933)
- キーワード
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- 調神社(ツキノミヤジンジャ)-さいたま市-埼玉県
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000076287