厳島神社の大法会の日にちについて,9月13日と記載のあるものと,9月14日と記載のあるものがあったので,それぞれ記載する。
<9月13日>
質問にある参考資料(1)『大日本古記録臥雲日件録抜尤』には次のとおりあり。「四月 十七日 (前略)厳島九月十三日有会,諸国年ゝ来詣,其外或九万艘,或十万艘来集,(以下略)」
参考資料(2)『鎌倉遺文 古文書編』「一八〇〇二 安芸厳島社臨時祭日記写 正応五●九月十三日於(安芸厳島社)当社被遂行臨時祭事(以下略)」(●は「禾」の下にカタカナの「キ」)
参考資料(3)『新日本古典文学大系 50 とはずがたり』では巻五「大法会あるべきとて」の注に,参考資料(2)をひいて,「九月十三日の臨時の祭りか」と記載している。
参考資料(4)『安芸厳島社』「参詣者の来訪と法会」の項に次の記述がある。
(4)-1「彼らの参詣の時期に注目すると,二条尼は乾元元年(1302)九月であり,十二日の試楽,十三の法会を見物しており,藤原公重は年次は不明ながら九月十三日夜厳島に参詣し,また一遍の弘安元年(1278)・同十年の両度の参詣はともに秋のころであった。」
<9月14日>
参考資料(4)『安芸厳島社』「祭礼法会と舞楽の伝統」の項には次の記述がある。
(4)-2「永禄六年(1563)八月,棚守房顕が元行に書き与えた「年中社役神事注文」(「巻子本厳島」55号)の中に見える恒例の舞楽の催される期日と内訳」として,「同(九月)十四日大法会」とあり。
参考資料(5)『とはずがたり』「大法会あるべきとて~」の頭注として「ここは,秋の例祭(9月14日)を指す」と記述されている。
参考資料(6)『問わず語り』「各段の要旨を小書きして解釈上の参考に供した」と凡例にあり,この段の要旨として「厳島神社に参拝して,九月十二日の試楽,十四日の大法会を見る」と記述されている。
参考資料(7)『宮島町史 資料編・地誌紀行Ⅰ』
(7)-1『厳島道芝記 巻六』(成立 元禄十年(1697)) 「(九月)十四日 大宮御祭」
(7)-2『中国名所図所 巻四』(成立 文化元年(1804)以後) 「(九月)十四日 大宮まつり」
(7)-3『芸藩通志 巻十七』(成立 文政八年(1825)完成) 「九月十四日 菊花の神事,舞楽あり」
(7)-4『厳島図絵』(成立 岡田清の序文は天保八年(1837)である。 ~中略~文政十年(1827)起業と奥書にある) 「九月十四日 大宮祭 式三月十五日の如し。この日ハ菊花を奉る。また 供僧経会(ぐそういっさい)を行う。」
広島県史の記述は,次のとおり。
参考資料(8)『広島県史 古代中世資料編Ⅱ』『厳島野坂文書』「1866 九月会菩薩眞請定 観應元年九月十四日」
参考資料(9)『広島県史 古代中世資料編Ⅲ』
『野坂文書』「344 九月会菩薩眞催促 観慶弐年九月十四日」
〃 「351 九月一切経会請定 應永七年庚辰九月〓日」
〃 「352 九月一切経会請定 應永九年庚辰九月〓日」
〃 「353 九月一切経会請定 應永十三年九月十四日」
〃 「354 九月一切経会請定 應永十〓年九月十四日」
〃 「356 九月一切経会請定 應永十六年九月十〓日」
〃 「357 九月会菩薩眞催促 應永九年九月十四日」
〃 「361 九月会菩薩眞催促 應永十三年丙戌九月十四日」
〃 「362 九月会菩薩眞催促 應永十〓年九月十四日」
〃 「366 九月会菩薩眞催促 應永十七年九月十四日」 〓は活字で表示していない字。