レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2009年4月28日
- 登録日時
- 2010/05/28 10:37
- 更新日時
- 2010/12/10 08:57
- 管理番号
- 山形県-2009-0004
- 質問
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解決
両所の宮(現在山形市宮町地内)にまつわる伝説について知りたい。
- 回答
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「山形市宮町の両所の宮」とのご質問でしたが、資料②③によると、正式名称は「山形鳥海月山両所神社」、俗称を「お宮様」「両所の宮」と称するようです。
資料①に両所宮設立のいわれが下記のとおり記載されていました。
「康平年間源頼義が勅命により奥州平定に下った時、飽海郡吹浦の両所神社に戦勝を祈願、康平六年(1063)に凱旋の折、神恩に酬いるため当地に勧請した」この中の「吹浦の両所神社」とは現在の鳥海大物忌神社のことです。
伝説について、当館所蔵の資料から下記をご紹介します。
資料①に、「金売吉次の伝説」「片目の鯉の伝説」について記載されています。
資料②に、「金井の井戸」「藤太の休石」「神池」「片目の鯉」について記載されています。
資料⑦に「お宮様の片目の鯉」「鴻の池」が掲載されています。「鴻の池」」に資料①②の「吉次の伝説」と似た話が掲載されていました。
資料⑤⑥は、「炭焼き藤太」と題して、伝説が掲載されています。神社との関係は確認できませんでしたが、内容が「金売吉次」に似ていましたので、参考までにご紹介します。
上記で記載した伝説について資料②より抜粋
1.「金売吉次」の伝説
山形城の始祖斯波兼頼が入部したのは、羽州最上郡金井荘城輪の里とされているが、平安時代、宝沢村に炭焼藤太という長者がおり、その子吉次というものが居り、彼は鉱山師であったので、金売吉次と呼ばれていた。藤太親子がこの泉で金を洗ったので「金井水」と称するようになり、それから荘名ができてこの辺一体を金井荘と呼ぶようになった。
2.「藤太の休石」の伝説
藤太が宝沢村と寒河江方面を往来する時いつも此処を通り腰をおろして休んだ石とされ、今でもそばには、こんこんと清洌な水が湧いている。
3.「神池」の伝説
金井の井戸から湧き出る泉は、清水を満々と湛えた大きな池となり、中島には厳島神社が祀られ、いなかる旱魃でも池の水が涸れることはなかったという。
4.「片目の鯉」の伝説
後三年の役の時、鎌倉権五郎景政という武将が左目を射抜かれながらも戦い続け、ようやく矢を抜きこの池の水で目を洗ったら目が癒え、かわりに鯉が片目になったという。
- 回答プロセス
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山形県立図書館ホームページ(http://www.lib.pref.yamagata.jp/)より蔵書検索のタグをクリック。書名に「両所宮」と入力し検索すると、資料①が表示された。山形の伝説で資料はないか、郷土民俗の棚に行き、資料⑤⑥を確認。
資料③④には神社の由緒・沿革が紹介されていたが、伝説については記載されていなかった。
- 事前調査事項
- NDC
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- 伝説.民話[昔話] (388 9版)
- 神社.神職 (175 9版)
- 参考資料
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- 資料①山形鳥海月山両所宮の成立について お宮さま曼陀羅/安彦好重著/(YK175.9/アビ)
- 資料②山形縣神社誌/山形県神社庁編/2000(K175.9/ヤマ)
- 資料③山形市神社誌/山形市編さん委員会編/1972(K175.9/ヤマ)
- 資料④山形市史 中巻/山形市編/1971(K175.9/ヤマ)
- 資料⑤山形・村山地方の伝説/武田正著/2000(YK388.6/タケ)
- 資料⑥まこちゃんのとんと昔/池野信編/2001(YK388/イケ)
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資料⑦郷土の伝説宮町の七不思議/田中新治編/1975(YK264.1/タナ)
※( )は自館の請求番号です。
- キーワード
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- 両所の宮
- 伝説
- 民話
- 神社
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000067177