レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2024/1/5
- 登録日時
- 2024/01/05 10:53
- 更新日時
- 2024/01/31 12:34
- 管理番号
- Obu2024-1
- 質問
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解決
大府市森岡町にある国立長寿医療センターの変遷が知りたい
- 回答
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昭和41年、国立愛知療養所と国立療養所大府荘が組織統合し、国立療養所中部病院と改称。その後平成16年(2004年)3月に国立長寿医療センターとなった。
- 回答プロセス
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・以前は「『中部病院』と呼ばれていたことは知っている」とのこと。
・Google検索「国立長寿医療センター 変遷」で検索
→『国立研究開発法人 国立長寿医療研究センター』(https://www.ncgg.go.jp/ncgg-overview/history.html 最終閲覧日2024.1.5)
「沿革」を見ると「昭和41年 国立愛知療養所と国立療養所大府荘が組織統合し、国立療養所中部病院として設立」
「平成16年3月 国立長寿医療センター(国立高度専門医療センター)開設」(「平成16年2月 国立療養所中部病院閉院」)と記載。
・『大府町史』大府町史編纂委員会 1966
→p.575~579 5.国立愛知療養所と 6.国立療養所大府荘についての記載あり。
・『大府市誌』大府市誌編さん刊行委員会/編集 1986
→p.639 第4節 市民生活の向上 「結核と中部病院」の中に「(略)四十一年、国立愛知療養所と国立療養所大府荘は組織統合し、国立療養所中部病院と改称されて発足した」と記載あり。
・『広報おおぶ 自2007年1月1日号(873号)~至2008年12月15日号(920号)』
→2008.12.15号「あの日の情景」に昭和40年に撮影された国立愛知療養所が載っており、その写真の説明で「この医療施設は、昭和13年に傷痍軍人愛知療養所として出発し、昭和20年の敗戦とともに名称を国立愛知療養所と変更し、広く国民医療を担当する施設として発足しました。(略)その後、結核患者の減少と非結核慢性疾患者の増大から国立療養所との再編成と診察機能の向上が図られ、昭和41年に組織統合され国立療養所中部病院が発足しました。現在は、国立長寿医療センターとして、市民を始め多くの方が利用しています」とある。
- 事前調査事項
- NDC
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- 中部地方 (215 10版)
- 参考資料
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- 『 大府町史』(大府町史編纂委員会 大府町 1966.6)
- 『大府市誌』 (大府市誌編さん刊行委員会/編集 大府市 1986)
- 『広報おおぶ 自2007年1月1日号(873号)~至2008年12月15日号(920号)』(大府市秘書広報課/企画・編集 大府市 2009.3)
- キーワード
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- 国立長寿医療センター
- 森岡町(愛知県大府市)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000344354