レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/5/27
- 登録日時
- 2023/05/03 18:28
- 更新日時
- 2023/07/18 16:14
- 管理番号
- Obu2023-6
- 質問
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解決
『鎌倉街道』が大府市内のどの辺りを通っていたのか知りたい。
※質問者より「横根町辺りを通っていたと聞いたことがある」とのこと。
- 回答
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当館で所蔵している文献において、鎌倉街道は大府市内を通っていなかったと思われる。
『図説愛知県の歴史』(林英夫/責任編集 河出書房新社 1987) より
→p.99「中世の交通」の地図によると、鎌倉街道は刈谷から豊明に抜けているため、大府市を通っていないと考えられる。
※p.98~101を参考資料として複写。
『図説 三河の街道と宿場』(郷土出版社 1997)
→p.23~24 鎌倉街道の記載はあるが、そのルートは名古屋から豊明、安城と続くため、大府を通っていない。
『刈谷市史 第1巻 本文 原始・古代・中世』(刈谷市史編さん編集委員会/編集 刈谷市 1989)
→p.343 「図3-3 鎌倉街道の図」
『大府市誌』(大府市誌編さん刊行委員会/編集 愛知県大府市 1986)
→p.332 「第五章 交通・商工業 図3-50 市域の村々の主要街道」
→p.774 「第二節 横根・北崎地域の神社」
『角川日本地名大辞典 23-[2]愛知県』(角川日本地名大辞典編纂委員会/編 角川学芸出版 2009)
→p.1616
『日本歴史地名大系 23 愛知県の地名』(平凡社 1981)
→p.35、p.530~p.534 「大府市」
- 回答プロセス
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●インターネット検索
・フリーワード検索「鎌倉街道 地図 ルート」
「三河地方の深堀情報サイトみかわこまち」 ※参考
(https://mikawa-komachi.jp/history/kariyawotoru.html)
→「鎌倉街道とは (中略)近世東海道と区別するために用いられる言葉で、中世の東海道を指す。」
「その経路は、三河・尾張間で近世の東海道よりもやや北側を通る行程で、東海道を岡崎から西へ進んだ尾崎村で北に向かい、現在の安城・知立・豊田市域を通り刈谷市域に至る。市域では東境・西境村を通って境川を越え、尾張国に入る。その後は二村山の山中を通り、鳴海宿の西・山王山で近世東海道のルートと交わる経路となっていた。そのため安城市から大府市にかけては、古街道伝承地を顕彰する碑や道標がいくつも建てられており、八橋は愛知県指定の名勝となっている。」
●館内検索
・館内フリーワード検索「三河 街道」<形態区分:郷土行政>
『古地図で楽しむ三河』(松岡敬二/編著 風媒社 2016)
→記載なし
『図説 三河の街道と宿場』(郷土出版社 1997)
→p.23~24 鎌倉街道の記載はあるが、そのルートは名古屋から豊明、安城と続くため、大府を通っていない。
・ブラウジングにより資料検索
『尾張名所図会絵解き散歩 増補版』(前田栄作/文他 風媒社 2013)
→記載なし
『尾張名所図会謎解き散歩』(前田栄作/著 風媒社 2021)
→記載なし
・質問内容より、鎌倉街道が刈谷市内のどの辺りを通っていたかを調べた。
『刈谷市史 第1巻 本文 原始・古代・中世』(刈谷市史編さん編集委員会/編集 刈谷市 1989)
→p.343「図3-3 鎌倉街道の図」
「古東海道=鎌倉街道は尾崎村より、里村(安城市里村)に入り、八橋村(知立市八橋町)、駒場村(豊田市駒場町)、東境村(刈谷市東境町)、西境村(刈谷市西境町)の各村を通り境川を超えていく」と記載あり。また図3-3見ても、境川を超えると、前後村や阿野村(現在の豊明市)、有松村、鳴海宿(現在の名古屋市緑区)へと繋がっており、大府市内の地名の記載はない。
・参考に下記資料も調査。
『大府市誌』(大府市誌編さん刊行委員会/編集 大府市 1986)
→p.332「第五章 交通・商工業 図3-50 市域の村々の主要街道」
「知多半島の主要道路は、飯沼如儂の『尾陽寛文記』に「御用にて知多郡の残らず巡り歩いたが、西浦・東浦・中通の三筋ある」と記されている」と記載あり。鎌倉街道は記載なし。
・質問者からの聞き取り「横根町辺りを通っていたと聞いたことがある」より、再調査。
『大府市誌』(大府市誌編さん刊行委員会/編集 大府市 1986)
→p.774「第二節 横根・北崎地域の神社」
「藤井神社:創建の年代は明確ではないが、「社伝によれば建久二年(1191)源頼朝の勧請といわれる。建久元年十月三日に、頼朝は鎌倉を出発し、鳴海を経て、同二五日野間で亡父義朝の菩提を弔い、翌二年鎌倉への帰途にこの地へ藤井大明神を勧請したと伝える」とあるが、この道中が鎌倉街道であるとの記載はない。
・上記調査資料『古地図で楽しむ三河』(松岡敬二/編著 風媒社 2016)より、「尾張」が無いか検索。
『古地図で楽しむ尾張 』(溝口常俊/編著 風媒社 2017)
→p.8~10「尾張の街道」
街道の図が載っているが、鎌倉街道の記述なし。
・ブラウジングにより資料検索
『愛知県歴史の道調査報告書 7 常滑街道 師崎街道 』(愛知県教育委員会文化財課 愛知県教育委員会 1992)
→記載なし。また『愛知県歴史の道調査報告書』の他の巻でも大府に関連した記載のあるものは見つけられなかった。
・以前別件の調査に使用した資料より、参考になりそうな資料を調査
『図説愛知県の歴史』(林英夫/責任編集 河出書房新社 1987)
→p.98 鎌倉時代、鎌倉街道を通った阿仏尼の『十六夜日記』に関する記述があるが、大府市の地名なし。
→p.99「中世の交通」の地図によると、鎌倉街道は刈谷から豊明に抜けているため、大府市を通っていないと考えられる。
『角川日本地名大辞典 23-[2]愛知県』(角川日本地名大辞典編纂委員会/編 角川学芸出版 2009)
→p.1616 鎌倉街道ではなく、大府市内の街道、大浜街道と巡見街道の記載あり。
『日本歴史地名大系 23 愛知県の地名』(平凡社 1981)
→p.35、p.530~p.534 「大府市」
鎌倉街道ではなく、大府市内の街道、巡見街道の記載あり。
(ウェブ・ページ最終閲覧日2023.5.3)
- 事前調査事項
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『知多半島歴史読本 [正] 』(河合克己/著 新葉館出版 2006)
『知多の歴史』(福岡猛志/著 松籟社 1991)
- NDC
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- 日本史 (210)
- 地理.地誌.紀行 (290)
- 日本 (291)
- 参考資料
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図説日本の歴史 23. 河出書房新社, 1987.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001879201-00 , ISBN 4309611230 -
大林淳男, 日下英之 監修 , 大林, 淳男, 1931- , 日下, 英之, 1930-. 図説三河の街道と宿場 : 目で見る街道の決定版. 郷土出版社, 1997.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002654908-00 , ISBN 4876700990 -
刈谷市史編さん編集委員会 編集 , 刈谷市. 刈谷市史 第1巻. 刈谷市, 1989.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I096685310-00 -
大府市誌編さん刊行委員会 編 , 大府市. 大府市誌. 大府市, 1986.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I002649330-00 -
角川日本地名大辞典編纂委員会 編 , 角川日本地名大辞典編纂委員会. 角川日本地名大辞典 23-[2]. 角川学芸出版, 2009.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I096792280-00 , ISBN 9784046229328 -
平凡社[編] , 平凡社 , 平凡社地方資料センター. 愛知県の地名. 平凡社, 1981-11. (日本歴史地名大系)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000074-I000000860-00 , ISBN 4582490239
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図説日本の歴史 23. 河出書房新社, 1987.
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000332840