レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年02月02日
- 登録日時
- 2023/03/30 11:33
- 更新日時
- 2023/04/07 16:27
- 管理番号
- 北広島町2017-15
- 質問
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解決
3年くらい前アメリカで歌劇(オペラ)になった「撫子」についての資料があれば見たい。
戦時中、八重西(現在の北広島町寺原)の西光寺に集団疎開していた兄妹に父母が送った手紙が元になっている。
- 回答
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資料1『ジュニアライター発』 疎開児童の強さに感動 「撫子」を鑑賞 広島
https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?junior=2015-49 (最終確認日2023/03/30)
資料2広島発世界平和を未来へ繋ぐ!音楽劇『撫子』戦後70周年アメリカプロジェクトを応援
https://www.makuake.com/project/nadeshiko/ (最終確認日2023/03/30)
資料3『千代田町史 通史編 下』千代田町 編 ,千代田町, 2004.
資料4『撫子』八尾洋二, 鈴木咲子著 , 鈴木咲子, 1987.
- 回答プロセス
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インターネットで「撫子」「オペラ」「広島」をキーワードにアンド検索を行うと中國新聞の以下の記事(2015年7月20日朝刊掲載)が閲覧出来る。
https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?junior=2015-49
質問者の説明するオペラの内容と一致するので、このことと思われる。
また「アメリカで歌劇(オペラ)になった」ということについては、上記の検索ワードでヒットした以下のクラウドファンディングの記事で説明されている。
https://www.makuake.com/project/nadeshiko/
この記事中では、オペラの原作として「原爆時に広島市に実在した八尾家の生存者、鈴木咲子著『撫子』」を上げている。
自館所蔵資料としては、八重西(現北広島町寺原)に当たる地域の町史『千代田町史』の通史編 下巻で、学童疎開に関する記述を確認するとp.336に「西光寺に疎開していた幟町小学校の八尾洋二・咲子兄妹は、広島に残った父母兄妹を原爆で失った。」から始まる4行の記述が確認できた。
また、資料2でオペラの原作として記載のあった『撫子』の書名も載っていた。こちらでは著者名は八尾洋二・鈴木咲子と兄妹の名前が併記されている。
自館では『撫子』を所蔵していないので、広島県立図書館より相互貸借で借受し、質問者に提供した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 中国地方 (217 10版)
- 記録.手記.ルポルタージュ (916 10版)
- 演劇 (770 10版)
- 参考資料
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資料1 『ジュニアライター発』 疎開児童の強さに感動 「撫子」を鑑賞 広島
https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?junior=2015-49 (最終確認日2023/03/30) -
資料2 広島発世界平和を未来へ繋ぐ!音楽劇『撫子』戦後70周年アメリカプロジェクトを応援
https://www.makuake.com/project/nadeshiko/ (最終確認日2023/03/30) -
資料3 千代田町 編 , 千代田町 (広島県). 千代田町史 通史編 下. 千代田町, 2004.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007369179-00 -
資料4 八尾洋二, 鈴木咲子著 , 八尾, 洋二 , 鈴木, 咲子. 撫子. 鈴木咲子, 1987.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I010272848-00
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資料1 『ジュニアライター発』 疎開児童の強さに感動 「撫子」を鑑賞 広島
- キーワード
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- 学童疎開
- 原子爆弾
- 平和学習
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000331266