レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019/01/16
- 登録日時
- 2019/03/21 00:30
- 更新日時
- 2024/03/30 00:40
- 管理番号
- M19011614004772
- 質問
-
お茶は、いつ、だれが、どのようにして日本に伝えたのかが分かる、子ども向けの資料はないか。
- 回答
-
①には、「お茶は、唐の国に派遣された“遣唐使”によって日本にもたらされたといわれています。『日本後記』には、永忠という留学僧が嵯峨天皇(786年~842年)に、煎じたお茶を献上したことが書かれており、これが正式に書かれた書物のなかでもっとも古い記録です。お茶を日本に持ち帰った留学僧は、ほかに最澄、空海、円仁などがいます。」との記載がある。
②には、「お茶は、平安時代に中国から伝わったとされています。日本から派遣された遣唐使が、唐の文化であるお茶を持ち帰ったのが最初で、鎌倉時代(12世紀末ごろ)には、禅宗のお坊さんである栄西が、中国でお茶のつくり方を学んで帰国しました。そのころのお茶は「内臓をつよくする薬」だと考えられていました。」との記載がある。
③には、日本のお茶の歴史と人物について、「17世紀の半ば中国(清の時代)から臨済宗を究めた僧の隠元が来朝し(1654年 承応3年)、日本に新しい喫茶法を伝えるよ。明の時代から清の時代に変わる中国では、茶がさかんに飲まれ、とくに優雅な暮らしを楽しむ文人たちの間では、たしなみのひとつとされていたんだ。」との記載がある。
④には、茶の湯の歴史について「お茶の木の原産地は中国南部からインドの山地といわれているんだ。最初は、お茶の葉をそのまま食べていたけれど、やがて飲みものにする習慣がはじまった。しかし、そのころは薬として飲まれていたようだ。」とあり、「やがて、中国では唐の時代(7~10世紀初め)に茶を飲むことが流行し、日本でも唐に渡った留学僧などからお茶を飲む風習が伝えられたんだ。そのころのお茶は「団茶」といって、お茶の葉を蒸して、だんごのようにつき固めたものだった。しかし、遣唐使の廃止(894年)とともに、日本ではお茶も下火になっていったんだ。」との説明があり、さらに、「その後、平安時代末期(12世紀末)に中国の宋と交易が再開されると、栄西というお坊さんが、日本にふたたび茶をもたらした。」との記載がある。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 工芸作物 (617 9版)
- 参考資料
-
-
①『お茶の大研究』PHP研究所,2005,79p.参照はp.16.
②『茶道・華道・書道の絵事典』PHP研究所,2006,79p.参照はp.14.
③ますざわたけお やまふくあけみ『茶の絵本』農山漁村文化協会,2007,36
p.参照はp.32.
④秋山滋 田沢梨枝子『はじめての茶道3』汐文社,2004,47p.参照はp.32-33.
-
①『お茶の大研究』PHP研究所,2005,79p.参照はp.16.
- キーワード
-
- お茶
- 茶道
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2019011614074104772
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 高校生, 中学生, 小学生(高学年), 小学生(低学年以下)
- 登録番号
- 1000253445