レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2022/07/16 15:12
- 更新日時
- 2023/01/25 15:24
- 提供館
- 京都市図書館 (2210023)
- 管理番号
- 右中-郷土-156
- 質問
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解決
京都にあった高射砲陣地について知りたい。
- 回答
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高射砲陣地は、航空機による攻撃から地上の施設を守るために構築されました。
京都では、軍港のあった舞鶴に構築されました。【資料1、2、7、12】
舞鶴の東山には東山防空指揮所がおかれ、高射砲陣地である空山(そらやま)、五老岳(ごろうだけ)、槇山(まきやま)、博奕岬(ばくちみさき)、倉梯山(くらはしやま)、愛宕山(あたごやま)、中山(なかやま)と専用回線で結ばれていました。【資料3~4、6、7、12】
その他、都市や交通の要点の地上防空のため、京都市周辺には、下京区の西大路七条西、北区の深泥池北、東山区の将軍塚、伏見区の久我、宇治市の槙島などにあったといわれています。【資料3、5、9~11】また、京都市役所の屋上の円形のコンクリートの構造物は高射機関砲の砲座だったといわれています。【資料3、8】
- 回答プロセス
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●キーワード“高射砲陣地”、“高射砲”、“戦争遺跡”、“戦争遺跡×太平洋戦争”、“京都×戦争遺跡”で当館所蔵資料を検索する。【資料1】~【資料5】
●【資料1】の記述より、舞鶴市史にあたる。【資料6】
●【資料1】の参考資料、【資料7】にあたる。
●キーワード “京都×高射砲陣地”、“京都×高射砲”、“京都×高角砲” でオンラインデータベースにて検索する。【資料8】~【資料12】
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216)
- 国防史.事情.軍事史.事情 (392)
- 参考資料
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- 【資料1】『しらべる戦争遺跡の事典』(十菱 駿武/編、菊池 実/編 柏書房 2002)p29~31“2 高射砲陣地の調査”
- 【資料2】『しらべる戦争遺跡の事典 続』(十菱 駿武/編、菊池 実/編 柏書房 2003)p103~105“舞鶴の戦争遺跡”、p399~404“京都府の戦争遺跡”
- 【資料3】『語りつぐ京都の戦争と平和』(戦争遺跡に平和を学ぶ京都の会/編 つむぎ出版 2010)p54、55“東山防空指揮所”“高射砲・高射機関砲陣地”p244“京都市周辺の対空陣地”
- 【資料4】『京都の「戦争遺跡」をめぐる【新装版】 府下200カ所 語りつぐ京都の戦争シリーズ 2』(池田 一郎/著、鈴木 哲也/著 機関紙共同出版 1996)p18~39“舞鶴の主な戦争遺跡”
- 【資料5】『かくされた空襲と原爆』(小林 啓治/著、鈴木 哲也/著 機関紙共同出版 1993)p57、58“日本軍の京都空襲対策”京都市周辺の防空部隊の配置図あり。
- 【資料6】『舞鶴市史 通史編 下』(舞鶴市史編さん委員会/編集 舞鶴市役所 1982)p736“防空砲台堡塁等の新設”、p738~743表123“舞鶴市所在軍用地概況”
- 【資料7】『本土防空作戦 戦史叢書 19』(防衛庁防衛研修所戦史室/著 朝雲新聞社 1968)p560“第十五方面軍”、p618、619“第十五方面軍の防空作戦”、付図第八“本土(台湾を除く)地上防空部隊配置図(終戦時における)”
- 【資料8】『朝日新聞 平成20年(2008)10月5日』25面“(週刊まちぶら小路上ル下ル)京都市役所かいわい 粋な工夫、昭和の証人/京都府)
- 【資料9】『京都新聞 平成10年(1998)2月3日』31面“京都御苑から不発弾「戦地から持ち帰ったか」”【マイクロフィルム】
- 【資料10】『京都新聞 平成18年(2006)9月10日』26面“戦時中の地域 地図に 宇治で戦争展 軍事関連施設を紹介”【CD-ROM】
- 【資料11】『京都新聞 平成21年(2009)9月20日』16面“ソフィアがやってきた!朱雀第四小学校 森谷尅久先生が語る御土居の話 安全に住める都市スタイル確立”【CD-ROM】
- 【資料12】『京都新聞 令和2年(2020)8月31日』21面“戦後75年 京滋の記憶 舞鶴湾一望 高角砲どこに?1946年米軍撮影カラーフィルム 五老岳か 痕跡は見えず”【DVD-ROM】
- キーワード
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- 高射砲
- 高角砲
- 高射砲陣地
- 戦争遺跡
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000318899