以下の資料に関連の記述を確認しました。
■マイクロフィルム
下野新聞、栃木新聞、朝日新聞栃木版、毎日新聞栃木版、読売新聞栃木版について、昭和30年3月19日から昭和30年4月2日までの2週間を調査しました。
(読売新聞と毎日新聞については夕刊が収録されていたため、3月18日分も確認しました。)
確認した記事は以下のとおりです。
○『下野新聞』
・1955(昭和30)年3月19日 3面「強風下・烏山(下境)に大火」「七十一棟を総なめ 水の便が
悪く消防車も立往生 一里離れた農家も類焼」
・1955(昭和30)年3月20日 5面「廿万の見舞金贈る 小川知事、大火の烏山を視察」
・1955(昭和30)年3月22日 4面(1版)「罹災者に三十万を 烏山町議会で決定」「加瀬氏、罹災
者に事務所を寄贈」
・1955(昭和30)年3月22日 4面(2版)「罹災者に三十万を 烏山町議会で決定」「加瀬氏、罹災
者に事務所を寄贈」「自衛隊員が見舞金 烏山の大火に同情」※前2つは(1版)掲載と同じ記事で
す。
・1955(昭和30)年3月23日 3面「住宅金融を特別融資 県 烏山の大火に救いの手」
・1955(昭和30)年3月25日 3面「烏山大火に一万円」
・1955(昭和30)年3月26日 3面「烏山の大火に相次ぐ浄財」
・1955(昭和30)年3月28日 4面「烏山に大火 見舞金贈る 南那須村」「東京の県人会からも」
○『栃木新聞』
・1955(昭和30)年3月19日 3面「強風下、烏山で大火 廿九戸、七十棟を全焼 三林三町も
百六十一名が罹災」
○『読売新聞栃木版』
・1955(昭和30)年3月19日 8面「禍いのもと“春風”烏山大火」「製紙工場が火元 つぎつぎ飛
火悪かった水利」
・1955(昭和30)年3月19日 夕刊2面「学友もノートなどを 夜具、カマの救援も物資届く 烏
山の大火」
○『毎日新聞栃木版』
・1955(昭和30)年3月19日 10面「強風化の烏山町大火 一里の間に点々飛火 必死の消防活動
も及ばず」
・1955(昭和30)年3月20日 8面「早くも仮小屋建設 烏山町の大火 町民の友愛供出も起る」
・1955(昭和30)年3月21日 8面「災害対策委の、設置を可決」
○『朝日新聞栃木版』
・1955(昭和30)年3月19日 8面「烏山で七十一むね焼く 被害者百六十一人 二キロにわたって
次々飛火」
■新聞記事データベース
当館が契約する新聞記事データベースから、「烏山」「下境」「大火」「火事」をキーワードに検索したところ、次の記事を確認しました。
○『聞蔵Ⅱビジュアル(朝日新聞)』
・1955(昭和30)年3月19日 7面「七一むねを全焼 栃木県烏山町_火事」
○『ヨミダス歴史館(読売新聞)』
・1955(昭和30)年3月18日夕刊 5面「45むね焼く/栃木県烏山」
・1955(昭和30)年3月19日 7面「烏山で71むね/栃木県」
■そのほかの所蔵資料(図書等)
以下の資料に記述を確認しました。
・『消防統計 昭和24-37年版』(栃木県民生部消防災害課/編 栃木県民生部消防災害課)【館内】
※昭和24年度から昭和37年度版の『消防統計』を合冊した資料。
『昭和30年度版 消防統計』(昭和31年3月刊行)のp.14「昭和30年中における主要火災原因等
調」に、「3 那須郡烏山町下境」の項があり、「出火の場所」、「出火及び鎮火の日時」、「焼失坪数及び損害額」、「出火原因」、「大火に至つた経過」を確認できます。