レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010/01/15
- 登録日時
- 2011/06/01 02:07
- 更新日時
- 2024/03/30 00:34
- 管理番号
- M10030421055590
- 質問
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明治時代に伊里村にあった梔島尋常小学校について知りたい。
- 回答
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資料①『岡山県教育史 中巻』によると,学制が出された当時,伊里のある和気郡は,第四番大学区第二番中学区に属していた。草創期における岡山県下の小学校の概要を示す表には,第十八大区一番小区九十二番小学区の学校として「梔島」の名前が見える。所在地は,和気郡灘田村正智院、生徒数は,男79,女25とある。資料②『伊里小学校百年誌』第2章学校の沿革には,伊里小学校の沿革とともに,梔島小学校の沿革も掲載されている。明治15年12月町村分合の結果,梔島小学校は穂浪村難田を通学区域としており,明治17年からは,小学校に等科が指定され,梔島小学校は初等,中等を併せて設置された。明治23年4月1日より伊里小学校へ統合され,岡山県和気郡第五番学区尋常伊里小学校となるが,明治32年4月までは1・2年が修学する仮校舎として梔島校舎の名が残っている。なお、資料③『伊里小学校八十年誌』にも梔島小学校の記述が見られる。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 社会 (360 9版)
- 参考資料
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- 資料① 岡山県教育会編『岡山県教育史 中巻』山陽新聞社,1981年,参照はp53,72,213,304,370 資料② 創立百周年記念事業実行委員会編『伊里小学校百年誌』参照はp17-32 資料③ 伊里小学校PTA編『伊里小学校八十年誌』参照はp4-7
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2010030421023255590
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢
- 登録番号
- 1000086876