レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年04月10日
- 登録日時
- 2023/04/10 14:44
- 更新日時
- 2023/09/05 12:54
- 管理番号
- 名古屋市村-2023-001
- 質問
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米の配給制度(昭和14~17年頃から)が、戦後どのように変わっていったのか。名古屋を中心に。
- 回答
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昭和14年4月に、全国に米穀配給統制法が公布されました。米の販売は国の許可制となり、名古屋では米穀取引所が閉鎖されました(同年8月)。
昭和15年には、臨時米穀配給統制規則および米穀管理規則が策定され、政府が全国農家の米をほぼ全て買い入れ、それを国民(消費者)へ配給する体制が整えられました。
それを具体化したのが、名古屋をはじめとする都市部(東京、横浜、京都、大阪、神戸)での、米穀配給通帳制(昭和16年4月)でした。通帳に記された職業や年齢、家族構成によって、1世帯当たりの米の配給量が細かく決められました。同年6月には、愛知県米穀配給統制組合が発足し、県内(名古屋含む)の米の配給システムが確立しました。
更に昭和17年に公布された食糧管理法で、その方針が一層強化され、米は政府による一元管理→国民への配給が法的に厳格に定めれました。
戦後はGHQによって多くの統制が解除されたものの、米への統制は旧来のままでした。
しかしながら次第に実態にそぐわないものとなり(高度経済成長や米の豊作が続いたこと)、昭和44年の米の自主流通制度の発足、昭和47年の物価統制令からの米の除外により、米の配給制度は有名無実化されました。
そして昭和57年1月、改正食糧管理法の施行で配給制度は正式に廃止され、米の自主流通制度が法制化されました。
- 回答プロセス
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昭和14~17年に関しては、『新修名古屋市史第十巻年表・索引』をベースに、ほぼ時系列順に説明をしていきました(P.186~191)。
ただ、名古屋での米の配給制度を詳らかにするには、国全体の米に関する法制度の説明も不可欠で、インターネットで『国立公文書館 アジア歴史資料センター』(https://www.jacar.go.jp/)、及び『全米販 全国米穀販売事業共済協同組合』(https://www.zenbeihan.com/)の公式ホームページ記事も合わせて使用しました。
戦後の変遷については、上記2サイトの公式ホームページ(公文書館→「お米を買うのに通帳が必要だったの?」 https://www.jacar.go.jp/glossary/tochikiko-henten/qa/qa13.html、全米販→「コメ流通の歴史」 https://www.zenbeihan.com/data/history/)を主に用いました。その他、戦後混乱期の、名古屋での米穀通帳のエピソードに触れた『名古屋戦乱物語』と、米価格の毎年の実態を数字で示した『物価今昔』を補助資料として活用しました。
※ウェブサイトの最終確認日は、すべて2023年4月10日になります。
- 事前調査事項
- NDC
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- 中部地方 (215 9版)
- 経済 (330 9版)
- 参考資料
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新修名古屋市史資料編編集委員会 編集 , 名古屋市. 新修名古屋市史 第10巻 年表・索引. 名古屋市, 2001.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I095959937-00 -
中西董 著 , 中西, 董, 1931-. 名古屋戦乱物語 : 米英軍占領下に生きた人びと. 文芸社, 2005.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007650946-00 , ISBN 4835576063 -
愛知県企画部統計課/[編] , 愛知県企画部. 物価今昔 : 昭和20年〜平成8年. 愛知県企画部統計課, 1997-11.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I109201048-00
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新修名古屋市史資料編編集委員会 編集 , 名古屋市. 新修名古屋市史 第10巻 年表・索引. 名古屋市, 2001.
- キーワード
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- 米
- 配給制度
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000331918