レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/12/14
- 登録日時
- 2024/03/29 00:34
- 更新日時
- 2024/03/29 00:34
- 提供館
- 金沢市図書館 (2310230)
- 管理番号
- 玉川-001123
- 質問
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解決
【明治初年の金沢の人口動態について】 明治初年に石川県の県庁所在地が金沢から美川に移された際、金沢の人口が減少したはずだが、その具体的な数字が記された資料が見たい。
- 回答
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『石川県史 第4編』(118587405)p.86-87「現住人口累年比較」に明治16年(1883)以降の金沢の人口の推移が掲載されている(明治16年106,659人)。
『金沢市史 通史編3』(119958310)p.29「表10 廃藩置県直後の金沢町と士族」によると、明治4年(1871)の金沢町の人口は123,453人、うち士族は52,992人である。p.42によると、明治24年(1891)の金沢の士族の人口は11,249人である(家族は含まれない)。
『石川県の歴史』(118558628)p.189によると、明治4年の金沢の人口は123,363人、うち武士は61,659人である。
『石川歴史館』(118377936)p.340「主要都市の人口変遷」によると、明治9年の金沢の人口は97,654人、明治26年(1893)の金沢の人口は91,531人である。
『伝統都市の空間論・金沢』(118412454)p.75「藩政期金沢の家数・人口」によると、明治4年(1871)の金沢の人口は123,363人である。
『稿本金沢市史 市街編第3』(119564192)p.802-803によると、明治4年(1871)の金沢の人口は123,363人、同22年の金沢の人口は94,209人である。p.842によると、明治4年(1871)の金沢の人口は123,363人、うち士族が26,028人、卒が26,888人である。p.844-854に明治13年(1880)から大正5年(1916)までの金沢の人口の推移が表形式で掲載されている。
『金沢工業大学研究紀要 A第11号』(11901082)p.125-155「金沢の人口変遷 ―その1 藩政期町人戸数と人口―」 土屋 敦夫/著 所収p.145「表―11 明治4年(1871)金沢戸口数」によると、同年の金沢の人口は123,363人、うち士族が26,028人、卒が26,888人である。
『金沢工業大学研究紀要 A第18号』(11914278)p.99-148「金沢の人口変遷 ―その3 戸籍簿による人口戸数統計(明治5年~大正8年)」所収、p.108「表―1 明治初期の金沢の人口戸数資料」に明治4年(1871)から同13年(1880)までの金沢の人口の推移が掲載されている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000348207