レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/12/10
- 登録日時
- 2024/03/29 00:34
- 更新日時
- 2024/03/29 00:34
- 提供館
- 金沢市図書館 (2310230)
- 管理番号
- 玉川-001122
- 質問
-
解決
【珠洲の米蔵について】 江戸時代、加賀藩の米蔵(御蔵所)が能登(現在の珠洲市付近)に存在していたか。もし存在していればその管理は誰が担っていたか。
- 回答
-
『加越能近世史研究必携』(113226643)p.177、『加賀藩史料 第4編』(11801627)p.539、『加賀藩農政史考』(118546645)p.403、『加賀藩農政史の研究 上』(118546369)p.209によると、珠洲郡の鵜飼には収納蔵が1つあった。
『珠洲市史 第6巻』(11903807)p.174に「当市域での御蔵は、飯田(三)・蛸島(二)・鵜飼・正院・大谷・鵜島に、町蔵は飯田に設けられ、御蔵の管理のためには、その付近に蔵番がおかれた」と記載されている。
『宝立の今昔』(11909588)p.15に「藩直領の年貢米を収納する倉庫を、「御蔵」といったが、宝立では鵜飼と鵜島に設けられ、管理のために、その付近に蔵番がおかれたといわれている」と記載されている。
年貢収納に関わる役人に関して、『加賀藩農政史の研究 上』(118546369)p.289に「所口町奉行の支配下に、所口・輪島・飯田・中居など、能登各地に在住する小代官がみえる」とある。
『七尾市史 資料編 第1巻』(11903493)p.94-105「野村隼人在役中所口等小代官願等留」に輪島・飯田に居住する小代官の名前が掲載されているが、鵜飼の記載は見つからなかった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000348206