レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/10/6
- 登録日時
- 2023/12/26 00:30
- 更新日時
- 2024/03/29 00:34
- 提供館
- 金沢市図書館 (2310230)
- 管理番号
- 玉川-001116
- 質問
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解決
【四高学生の超然主義及び四高事件について】 四高時代の西田幾多郎に師事した、河合良成が書いた超然主義に関する文章が読みたい。
また、四高の学生が校長の弾劾文を書き、文部省や他の高等学校に送ったらしい。その文章が読みたい。
- 回答
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○四高の超然主義について
『四高八十年』(119565799)p.43に、「明治39年の「超然火事」がある。同年3月19日、時習寮の南寮と炊事場等が火事で焼失し、寮生は寮生活を続けることができなくなった。(中略)「吾人はすべからく現代を超越せざるべからず」の高山樗牛の理念も反映してか、彼ら時習寮生有志は、「超然主義」を標榜して、世俗を離れて、寮に立てこもり」の記載あり。
またp.44に、超然火事から2年後に立てこもった38名が残した超然趣意書の全文あり。
『北の都に秋たけて』(180504840)p.76-78にも超然趣意書の全文あり。
『金沢大学資料館紀要(第7号)』(109156794)p.4に、「寮の外部にいた河合良成」の記載あり。
『石川百年史』(119871489)p.578-581に、超然火事、超然主義の記事あり。
『第四高等学校時習寮史』(180504920)p.24-30に、超然火事、超然主義の標榜の記事あり。
p.24に火事の後の部屋割りがあるが、河合良成の名前は入っていない。
p.29に超然趣意書の全文あり。
『時の曠野 第四高等学校時習寮1893~1950』(118451194)p.41-42に超然火事、「超然主義」の勃興の記事あり。
p.50に超然趣意書の記事あり。
『金沢大学五十年史 通史編』(119776550)p.79-81に、南寮火事(超然火事)と超然主義の標榜の記事あり。
『北辰会雑誌第44号』p.66に河合良成による寄稿「時習寮の過去現在未来」で、時習寮の表現として「超然塵外に聳立して俗流を白眼に附し」の記載あり。
【URL】http://hdl.handle.net/2297/41767 (最終閲覧日:2023-12-19)
〇四高事件について
『石川百年史』(119871489)p.864-865に吉村校長排斥運動の記事あり、「44年には学生大会が17か条にわたる詰問状を吉村に手渡して辞職を勧告し、さらに代表が上京して文部省に陳情した。」の記載あり。
『四高八十年』(119565799)p.67、津山玄道の寄稿に「明治44年の或る日、急に学生大会が開かれ(中略)高岡中学の卒業生で私と同級の釣鶴造という男が壇上に立って校長排斥の大演説をやり、吉村寅太郎校長に17ヶ条に亘る詰問状を手渡し」、また数日後には「文部当局に陳情に及んだ」とある。
『北の都に秋たけて』(11825820)p.84-85に同様の記事あり。
『金沢大学五十年史 通史編』(119776550)p.78、p.84-85に四高事件の記事あり。
『第四高等学校時習寮史』(180504920)p.46-47に四高事件の記事あり。
北辰会雑誌第61号、第62号に吉村校長の退任の記載はあるが、弾劾文は掲載されていない。
レファレンス協同データベースにて「豊岡藩(兵庫県)出身で明治末年に旧制第四高等学校(金沢大学の前身諸校の一つ)校長を務めた吉村寅太郎の事績について、関係する史料・研究資料を探しています。
なお、天誅組の変に関わった幕末の土佐藩士とは別人です。」との質問に対しての返答が記載されている。(提供館 石川県立図書館)(最終閲覧日:2023-10-24)
【URL】https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000190465
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000343999