レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/01/08
- 登録日時
- 2020/03/28 00:30
- 更新日時
- 2024/03/30 00:41
- 管理番号
- M20030717510582
- 質問
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昔宇高連絡船が、列車の客車を人を載せたまま運んでいた記憶がある。そのことについての資料はあるか。
- 回答
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資料①『宇高航路五十年史』資料②『宇高連絡船78年の歩み』資料③『鉄道連絡船細見』によると、戦後の旅客輸送人員増加に対応するために客載車両渡船の建造が計画され、1500トン級客載車両渡船紫雲丸眉山丸鷲羽丸が出現した。2度の試運転の後、1950(昭和25)年10月1日午前2時25分宇野発第3便から車両航走が開始された。
資料④『山陽新聞朝刊』資料⑤『山陽新聞夕刊』には、大阪からの507便列車186名の旅客を載せた鷲羽丸の処女航走の様子の記事が掲載されている。宇野高松間における夜間の乗り換えをなくすことが目的であり、深夜の第3、第20便のみであった。その後利用客は年々増加していったが、1955(昭和30)年5月11日に起こった紫雲丸沈没事故により中止となった。資料⑥『写真集 さようなら宇高連絡船』でも関連する写真が掲載されている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 海運 (683 9版)
- 参考資料
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資料①『宇高航路五十年史』日本国有鉄道宇高船舶管理部,1961,285p. 参照はp.56
資料②『宇高連絡船78年の歩み』成山堂書店,2000,345p. 参照はp.22
資料③ 古川達郎『鉄道連絡船細見』JTBパブリッシング,2008,191p. 参照はp.149
資料④『山陽新聞朝刊』1950年10月2日p.2
資料⑤『山陽新聞夕刊』1950年10月2日p.1
資料⑥『写真集 さようなら宇高連絡船』交通新聞社,1988,93p. 参照はp.45
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資料①『宇高航路五十年史』日本国有鉄道宇高船舶管理部,1961,285p. 参照はp.56
- キーワード
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- 車両航走
- 客車航走
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2020030717553710582
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢, 高校生, 中学生
- 登録番号
- 1000279669