レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年04月28日
- 登録日時
- 2023/07/20 15:52
- 更新日時
- 2023/07/25 16:53
- 管理番号
- 000011053
- 質問
-
未解決
氷上山興隆寺について、以下が知りたい。
1.文化12年(1815年)に毛利斉煕が、徳川家康200年祭で興隆寺に参詣しているが、その月日と、記録の有無
2.江戸時代の興隆寺の寺石
3.興隆寺参詣の手配をしているらしい「佐伯多門」という人物について、その生年月日、身分、石高
- 回答
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1については、下記資料1p453によると、文化12年(1815年)4月15日から17日まで氷上山真光院で、「東照公二百年祭」の仏事が行われ、斉熙は16日に山口に赴いて参詣し、23日に萩に戻ったとある。
なお、資料1の原資料を国立国会図書館が電子化しており、“国立国会図書館デジタルコレクション”で利用できる。
大田報助 編『毛利十一代史』第37冊 巻之98-100 清徳公記,大田報助,明40-43. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/766379/1/70 (参照 2023-04-27)
また、記録については、資料2によると、山口県文書館所蔵の毛利家文庫に含まれている「公儀事諸控」(幕府関係の記録)の文化12年~13年に「於日光山権現様(徳川家康)弐百廻御忌御法会之事」の項があり、付けたりとして「於山口氷上山御法事御執行之事」とある。この資料は活字化されていないため未確認。閲覧には、同館に来館する必要がある。
2については、資料3に収録された安政2年(1855年)ごろの分限帳によると、「(山口)氷上山」の石高は「髙九百拾六石六斗九升七合」(p663)とある。
3については不明。参考までに、資料4p211に「佐伯多門公忠」の項がある。該当する人物であるかどうか不明だが、文化10年(1813年)3月10日から文政3年(1820年)3月3日まで「鈔座頭人」に任ぜられており、時代的には合致する。
なお、「鈔座頭人」は、資料5p297によると、百石以下の八組士が就く職で、藩札発行をつかさどるとある。この資料の原本は、国立国会図書館が電子化して“国立国会図書館デジタルコレクション”に収録されている。
時山弥八 編『稿本もりのしげり』,時山弥八,大正5. 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/969141/1/171 (参照 2023-04-27)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 寺院.僧職 (185 9版)
- 日本史 (210 9版)
- 参考資料
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1.大田報助 編 , 大田/報助. 毛利十一代史 第9冊 復刻版. マツノ書店, 1988.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I060386693-00 (p453) -
2.山口県文書館 編 , 山口県文書館. 公儀事諸控総目次 2. 山口県文書館, 2000. (毛利家文庫目録別冊 ; 2)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002904847-00 (p123) -
3.樹下明紀, 田村哲夫 編 , 樹下, 明紀, 1940- , 田村, 哲夫, 1924-. 萩藩給禄帳. マツノ書店, 1984.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001719043-00 (p663) -
4.石川/敦彦 著 , 石川/敦彦. 萩藩職役人名辞典. 石川/敦彦, 2010.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I060614384-00 (p211) -
5.時山 弥八 著 , 時山 弥八. もりのしげり 増補訂正. マツノ書店, 2015.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I061777301-00 (p297)
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1.大田報助 編 , 大田/報助. 毛利十一代史 第9冊 復刻版. マツノ書店, 1988.
- キーワード
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- 仏教--日本--歴史--江戸時代
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000336151