レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年10月31日
- 登録日時
- 2024/01/23 17:46
- 更新日時
- 2024/01/25 15:14
- 管理番号
- 000011090
- 質問
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未解決
火野葦平の小説「角島」で、主人公の画家、牧岡俊一が角島で死に、島の丘に墓標が建てられた、とあるが、この墓は存在するのか。存在するとすればどこにあるのか。
- 回答
-
当該小説の主人公「牧岡俊一」のモデルとされる画家、「長末友喜」は、角島で亡くなったとする資料は見つかったが、墓については不明。
下記資料1『ふるさと文学館 第41巻』のほか、『火野葦平選集 第7巻』(当館未所蔵、“国立国会図書館デジタルコレクション”に収録)に「角島」が収録されている。同書巻末に火野自身による解説がある。それによると以下のとおり。
「「角島」(「新潮」昭和二十五年十一月)のモデル永末友喜君の追悼遺作展を、先日、小倉で催した。小説としてのフィクションは入ってはいるが、才能を持ちながら若くして不慮の死を遂げた永末君を惜しむ気持ちが、この作品を書かせたのである。しかし、私は角島には行ったことはない。永末君の画友で有り、私たちの古い友人でもある星野順一から話を聞いて書いたのである。角島にいる人から、「あなたがいつ角島に来たのかちつとも知らなかった。よく角島の情景が書けている」と言われて面くらつたり苦笑したりした。」
『火野葦平選集』第7巻,東京創元社,1958. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1665655/1/236 (参照 2024-01-23) 図書館・個人送信限定資料
「永末友喜」は、「長末友喜」のことと思われる。資料2『北九州市史 近代・現代 教育・文化』p626に簡単な略歴があり、それによると「長末は美術文化協会の会員、最初はシュールレアリスムの絵を描いていたが後に具象画に変化、昭和五十一年に山口県の角島で写生中急逝した。(図録)」とある。
※「昭和五十一年」に没したとあるのは、昭和24年の誤りと思われる。
長末に関する資料は、当館には所蔵していない。北九州市立中央図書館が画集を所蔵しているため、同館に確認したところ、以下の資料には角島の墓碑について記載がなかったとのこと。
『青柳喜兵衛・長末友喜展』(青柳喜兵衛 [画] 北九州市立美術館 1976)
『長末友喜画集』(長末友喜 画 橄欖社)
『長末友喜遺作展』(八幡市美術工芸館 編 八幡市美術工芸館 1961)
うち、『長末友喜遺作展』によると、長末は昭和24年(1949年)8月1日に角島の砂上で心臓麻痺で亡くなったとあるとのこと。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 芸術 (7 9版)
- 日本文学 (91 9版)
- 参考資料
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1.木原直彦 [ほか]編. ふるさと文学館. 第41巻. ぎょうせい, 1994.11.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002378053 (p273,623) -
2.北九州市史編さん委員会 編. 北九州市史. 近代・現代 教育・文化. 北九州市, 1986.12.
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001842136 (p626)
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1.木原直彦 [ほか]編. ふるさと文学館. 第41巻. ぎょうせい, 1994.11.
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000345341