レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年11月02日
- 登録日時
- 2020/03/31 08:47
- 更新日時
- 2021/08/20 12:11
- 管理番号
- 県立長野-19-127
- 質問
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「岩垂原(いわだれはら)」(現・塩尻市)の江戸時代からの開墾の歴史、土地の成り立ち、範囲を知りたい。
- 回答
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依頼館での調査済み資料以外の資料を調査したが、岩垂原について、江戸時代からの開墾の歴史、岩垂原の土地の成り立ちや、範囲を示す地図は確認することができなかった。
以下は調査した資料。
・『長野県史 近世史料編 第5巻(3)中信地方』 長野県編 長野県史刊行会 1974 【N209/11/5-3】
後付け頁掲載「筑摩郡郷村変遷」p.60「岩垂村」によると、文禄年間カ『両郡御改惣寄御帳』では松
本領、正保4年3月(1647)『正保御書上』御事跡稿では高遠領、元禄15年12月(1702)『信濃国郷帳』
では幕府・高遠領、天保5年12月(1834)『信濃国郷帳』では幕府・高遠領という記載があった。
・『長野県史 近世史料編 第5巻(1)中信地方』長野県編 長野県史刊行会 1973 【N209/11/5-1】
幕府領「土地」の項 p.1008-1009 「三三四 元禄四年三月 筑摩郡岩垂村分け郷反別帳」の掲
載があった。
反別合計の内訳によると「上田」29歩、「中田」8畝13歩、「下田」3反4畝23歩、「下々田」2反2
畝歩、「悪地下々田」2反2畝26歩、「砂田」4畝4歩、「中畑」4畝20歩、「下畑」9畝8歩、「下々
畑」4畝9歩、「原畑」23町6反5畝22歩、「屋敷」1反4畝15歩となっていた。
同資料のうち、松本領「領地」の項 「六 年次不詳 松本領郷村高附帳」p.4中段に「一 百三拾石
四斗三升七合 岩垂村」の記載があった。
同資料のうち、幕府領「領地」の項 「三二五 自享保十年至文政十二年 御料所并松本御預所歴代
記(松本御預所)」p.948に「一 高百拾七石弐斗七升七合」という記載があった。
・『長野県町村誌 南信篇』
長野県編 名著出版 1973(長野県町村誌刊行会 1936の復刻)【N290/33a/3】
p.2976-2985「洗馬村」の項(『信州ふるさと変遷史』 松橋好文原編 一草舎出版 【291.52/ナガ】
p.69によると洗馬村は、本洗馬村、小曽部村、岩垂村が明治7年に合併して成立。) 「管轄沿革」の
項で高遠領から幕府領になった過程の記載があった。
「地勢」で岩垂は「東方奈良井川帯流し、南古曾部川沿流す。西少しく高く畑地平坦にして、山本
村、今井村に接し、北、安筑両郡を平望す。」とある。「地味」には特に岩垂と記載はないが、高
燥の地について記載がある。
・『新撰信濃地誌』 太田鶴雄編 小松為吉 1894 【N290/7】
「松本平」9丁裏に「松本ヨリ以南、塩尻ニ至ルノ間、原野多ク、下原(シモハラとルビあり)、桔梗原(キキョウ
パラとルビあり)、東山原(ヒガシヤマハラとルビあり)等アリテ、近年ニ至リ、漸ク開墾ニ就ケリ」と記載があった。
・『長野県果樹発達史』 長野県編 長野県 1979 【N625/35】
「第4 ブドウ」の項 p.236
信濃国へは筑摩郡山辺村に江戸時代(元禄・宝永のころ 1688-1710年)甲斐国から導入され、
主として家の庭さきあたりに植栽されていたようであるが、詳細については全く不明である。
(中略)今日のように全国的にブドウが導入され、栽培が隆盛を極めたのは、明治政府の勧業政
策を待たねばならなかった。
明治7年(1874年)の秋、勧業寮から第1回地方配布として、筑摩県に5本、長野県に3本のブドウ苗
が配布されたが、品種名や配布後の経過などは不明である(果樹農業発達史)
等記載がある。(『果樹農業発達史』は、当館に所蔵なし)
・『字境図コピー [地図資料] 第3期 塩尻市1』滝沢主税編著 長野県地名研究所 2012【N293/83/417-1】
現代の地形図に明治初期の字を落とし込んだ地図。岩垂原という記載が透けて見えるところに当
時の字の境が確認できる。しかし、たくさんの字があるため字名の記載は番号と照合するように
なっており、その番号自体が判別しにくくなっている。
・『5万分一地形図 塩尻』 明治43年測図大正5年製図
「岩垂」はあるが「岩垂原」はなし。符号がついているので土地の利用はおおざっぱではあるが
確認できる資料。
- 回答プロセス
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1 郷土分類N233(塩尻市)周辺の資料で、岩垂原の記述がある文献を探す。
2 新田開発にかかわることから、『長野県史』の「土地」の項を探す。
3 字名、小字名と関係する資料を探す。
<調査資料>
・『DVD-R 山村採集手帖データベース』 成城大学民俗学研究所 【N382/143】
「昭和9年度 長野県東筑摩郡洗馬村」を確認
・『農地統計調査結果報告 昭和24年3月1日』 長野県編 長野県 1949 【N611/54】
・『開拓二十年史』
長野県開拓二十年史編集委員会編 開拓二十周年記念事業実行委員会 1966 【N611/109】
・『長野県開拓事業の現状及び将来』 長野県農地部開拓課編 長野県 1952 【N611/232】
・『開拓十年』 長野県開拓十周年記念事業実行委員会編 長野県開拓協会 1955 【N611/233】
・『開拓地土性調査成績報告書 1』 長野県編 長野県 1947 【N613/7/1】
・『開拓地土性調査成績報告書 2』 長野県編 長野県 1948 【N613/7/2】
・『開拓地営農実績調査 昭和25年度』 長野県開拓課編 長野県 1951 【N611/65/'50】
・『開拓地営農実績調査 昭和26年度拓地営農実績調査書』
長野県開拓課編 長野県 1953 【N611/65/1】
・『開拓地営農実績調査開拓地営農実績調査 昭和37年度拓地営農実績調査書』
長野県開拓課編 長野県 1963 【N611/65/5】
・『開拓地営農実績調査書 昭和43年度拓地営農実績調査書』
長野県開拓課編 長野県 1969 【N611/65/11】
・『農地開拓の主要動向』 長野県農地開拓課編 長野県 1968 【N611/123】
・『長野県における開拓と水害について』 長野県開拓課編 長野県 1949 【N611/75】
・『果樹生産地域の構成』 内山幸久著 大明堂 1996 【N625/61】
・『長野県農業の現状と問題点』 長野県農地経済部編 長野県 1959 【N611/218】
・『目で見る長野県の土地改良』 長野県土地改良事業団連合会編・刊 1988 【N611/365】
・『長野県統計書 明治37年 (第22)』 長野県編 長野県 1906 【N350/4/'04】
・『塩尻町誌』 大森利球治 塩尻町誌刊行会 1937 【N233/5】
・『長野県市町村提要』飯沼務編 文竜館 1934
国立国会図書館デジタルコレクション図書館送信参加館内公開 洗馬村189コマ-
開墾について特に記載なし
・『東筑摩郡村誌 第3輯』 東筑摩郡教育部会編 東筑摩郡教育部会 1935
国立国会図書館デジタルコレクションインターネット公開 洗馬村80-97コマ
開墾、岩垂原について特に記載なし
・『学徒開墾』長野県経済第一部耕地課 1945
国立国会図書館デジタルコレクションインターネット公開 塩尻高等女学校 107-109コマ
土地の名前は確認できず。
- 事前調査事項
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『日本歴史地名大系20 長野県の地名』『東筑摩郡・松本市・塩尻誌』『塩尻市誌』『岩垂原地区竣工記念誌』『精選長野県古地図集 1』『近代松本地図集成』『長野県市街地図集』『わたしたちの塩尻市 小学3,4年用社会科資料集 平成20年度』『明治初期長野県町村絵地図大鑑3 中信篇』『正保四年信濃国絵図』『大日本管轄分地図』『角川日本地名大辞典20 長野県』『塩尻市誌 付図(全10枚)』『中山道』(江戸時代地図)『江戸時代日本国絵図選要』『松本市史』
- NDC
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- 農業工学 (614 10版)
- 中部地方 (215 10版)
- 食品工業 (588 10版)
- 参考資料
- キーワード
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- 塩尻市
- ブドウ
- ワイン
- 開拓
- 信州学
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000279846