レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018/6/27
- 登録日時
- 2018/07/28 00:30
- 更新日時
- 2024/03/29 00:33
- 提供館
- 金沢市図書館 (2310230)
- 管理番号
- 玉川-000663
- 質問
-
未解決
【世良太一の経歴について】 明治時代に統計の導入・普及に貢献した人物である世良太一(せらたいち)が、金沢藩に勤めていた頃(明治3年前後)の経歴や携わった業務などがわかる資料はないか。
- 回答
-
【質問者による事前調査資料】
金沢市立玉川図書館ホームページ「市史年表 金沢の百年(明治編)」
(金沢市図書館>郷土資料>市史年表(明治編)のページ)
【URL】https://www2.lib.kanazawa.ishikawa.jp/reference/shishinenpyou.htm
・明治3(1870)年12月7日〔社会・文化〕
英国代理公使アダムスが金沢、大聖寺、富山藩預けの浦上キリシタンが残酷な扱いを受けている と右大臣三条実美に待遇改善の申入れをした。政府は関一郎を派遣し実情調査をさせた。関は金沢藩参事世良太一を伴って帰京した。
・明治30(1897)年2月25日〔社会・文化〕
前田家編輯課主任野口之布がやめ世良太一が後任となった。
【当館での調査事項】
下記の資料に明治3年当時の世良太一の役職が記載されていたが、「参事」という表記ではなかった。
『石川県史料 第5巻』(119563050)旧金沢藩官員履歴が掲載されている。
p.485に以下の通り記載されている。
石川県士族 元金沢県
世 良 太 一
天保九年戊戌九月生
明治三年閏十月十七日
一 任権大属
金沢藩
明治四年八月九日
一 免本官
金沢県
旧金沢藩官員履歴に名前が見えることから、旧加賀藩士であったと考えられるが、旧加賀藩士の由緒を書き上げた「先祖由緒并一類附帳」には、世良という姓の家はなかった。
世良田という姓の陪臣の由緒帳はあったが、世良太一と結びつく人物は確認されなかった。
文久年間初期の加賀藩直臣を書き記した『加賀藩組分侍帳』(118541353)においても、世良という姓の人物は確認されなかった。
また、市史年表の内容から、金沢・大聖寺・富山藩預けの浦上キリシタンに関する以下の資料も当たってみたが、「世良太一」と関連するような記述は見つけられなかった。
『キリシタンの記憶』(118477940)
『北陸のキリスト教』(119894017)
『石川県史 第4編』(118587405)
『石川のキリシタン』(109140622)
◆世良太一について
『人物レファレンス事典 郷土人物編あ~せ』(112982708)p.1424世良太一
江戸時代末期~大正期の官吏。
生没年月日:天保9(1838)年8月16日~大正8(1919)年2月8日
→『広島県大百科事典』(当館に所蔵なし)で肖像画が確認できる。
『明治大正人物事典 2』(113175240)p.350世良太一
統計学者、共立統計学校設立者
出身地:備後国(広島県)
略歴:明治4年太政官政表課、明治9年表記学社、明治16年共立統計学校設立に参画
<追記>
その後、以下の情報提供を受けた。
『日本人名大辞典』(講談社)にも世良太一の項目がある。
参考:コトバンク デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説
世良太一 せら-たいち
【URL】https://kotobank.jp/word/%E4%B8%96%E8%89%AF%E5%A4%AA%E4%B8%80-1085298
また、『日本人物文献目録』(平凡社)に下記の2件の情報があり。
国立国会図書館の図書館向けデジタル化資料送信サービスで利用できる。
「世良社長を葬るの記 -」 『統計学雑誌』 398 大正8年
【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/1487940/1/1
「世良太一君の長逝を悼む」 横山雅男 『統計集誌』 456 大正8年
【URL】https://dl.ndl.go.jp/pid/1573324/1/1
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000239689