レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/06/19
- 登録日時
- 2023/07/02 00:30
- 更新日時
- 2023/07/20 18:25
- 管理番号
- 14925921
- 質問
-
未解決
ハワイ浄土宗第8代総長であり、真珠湾攻撃における捕虜第1号となった酒巻和男と交流があったとされる「名護忍亮」という人物について知りたい。
- 回答
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一部の資料の全文検索機能を有する国立国会図書館デジタルコレクションのトップページ(https://dl.ndl.go.jp/ja/)にある簡易検索窓にキーワード「名護忍亮」を入力して検索すると多数の文献がヒットします。このうちのいくつかを以下に紹介します。
【 】内は当館請求記号です。書誌事項末尾に◎を付した資料は国立国会図書館デジタルコレクションの国立国会図書館内/図書館・個人送信対象開資料、☆を付した資料は同インターネット公開資料です。
(1) 事業家年鑑社 編『分類布哇日本人事業家年鑑』昭和15-6年,事業家年鑑社,昭和15【735-29】☆
pp.174-175:「宗教家(權僧正) 名護忍亮 明治十四年七月十日生」という記述に続いて肖像写真(白黒)、原籍、師蹟、現住、長女、代々、経歴(明治40年の渡布以降、昭和12年まで)、賞、結婚、教育、趣味の項目が記載されています。
※該当箇所のURL:https://dl.ndl.go.jp/pid/1208066/1/96
(2) 『仏教大年鑑1961』仏教大年鑑刊行会,1960【180.59-B94】◎
p.654:「名護忍亮」 ※「仏教界人名録」昭和35年7月31日現在(pp.565-712)のうち
記載内容は、凡例によれば①住所、②本籍、③生年月日、④所属宗派・寺院、⑤最終学歴、⑥主なる現職 です。
p.762:「Nago Ninryo(名護忍亮)」 ※「海外 団体人名篇」(pp.737-784)のうち。 上記①と同じ記述です。
(3) 魚尾, 和瑛『戦前期における布哇浄土宗教団の展開過程』大正大学 , 2019(博士論文)
本資料は「大正大学機関リポジトリ」(https://tais.repo.nii.ac.jp/)で、PDFファイルを取得可能です(http://id.nii.ac.jp/1139/00001142/)。ブラウザの検索機能で「名護」を検索すると、p.120、121、129、162がヒットし、名護忍亮に係る記載があります。
(4) ハワイ日本人移民史刊行委員会 編『ハワイ日本人移民史』布哇日系人連合協会,1964【334.476-H351】◎ ※増補2版あり。名護忍亮に関してp.474の記述内容は同じです。【DC812-185】◎
p.474:“窪川旭丈師、名護忍亮師、宮本文哲師と代を重ね、現総長中島真孝師は第十代目の総長(後略)” ※「附録史>第二編 ハワイ日系人の過去と現勢」> 仏教 > 浄土宗」の項目のうち
(5) 上田,喜三郎「ハワイ日系人の生活史(30)」(『太平洋学会学会誌』(80/81), 1998.10 pp.19-35(電子書籍・電子雑誌)☆)ハワイの浄土宗開教使について、明治44年、大正5年、大正10の駐在状況が記載されています。
p.20:“ホノカア教会堂主任 名護忍亮(愛知)” ※明治44年の記述のうち
p.21:“ホノカア 名護忍亮” ※大正5年の記述のうち
p.22:“ワイナク 名護忍亮 一二〇“ ※大正10年の記述のうち。漢数字は信徒数です。
※https://dl.ndl.go.jp/pid/10495295/1/1
(6) 新保義道「法話 浄土宗ハワイ開教(三)」(『浄土 = Monthly jodo』50(11), 1984.11 pp.25-33【Z9-240】◎)
p.26:“一九一八年(中略)、名護忍亮はホノカワア小学校主任” ※「ハマクア浄土宗教会堂」の項目のうち
p.28:“名護忍亮が五代となり、後年大改築をした” ※「ワイナク浄土宗教会堂」の項のうち
(7) 村山有 著『ハワイ二世 : 屈辱から栄光へ』時事通信社,1966【334.476-M982h】◎
p.119:“ハワイ教育会所属の日本語学校の教員で、勤続三十年以上の人々は、一九六五年四月現在でつぎの通りであるが、これは国家的にも感謝してしかるべき人々である”という記述の後に“▽五十年以上 (中略) 名護 忍亮(55)”とあります。
※第二章 ハワイ二世(pp.66-122) > 9.日本語教育(pp.112-120)のうち
(8) 牧野金三郎伝編纂委員会 編『牧野金三郎伝』牧野道枝,1965【289.1-M157】◎
p.16:“名護忍亮師(日語校試訴問題の大功労者)”との記載があります。※山本常一「序に代えて」(pp.16-17)のうち
pp.75-77:「送還問題弁護を忘れない(名護忍亮氏談)」※「若き日の牧野氏を語る」(pp.68-86)のうち
(9) 浄土宗務所教学部 編『浄土宗開教要覧』浄土宗務所教学部,昭和4【612-96】◎
p.130、p.150、p.156に「名護忍亮」の記載があります。
また国立国会図書館オンライン(https://ndlonline.ndl.go.jp/)をキーワード「布哇 浄土宗」、出版社「布哇 浄土宗」で検索したところ次の資料がヒットし、目次を手掛かりに通覧したところ「名護忍亮」に関係する記載がありましたので以下に紹介します。
(10) 藤花教道 編『布哇浄土宗沿革概要』布哇浄土宗別院,1964.10【VE2-453】
p.12:「第八代= 名護忍亮師…一九四六年(昭和二一)二月十日に就任、(後略)」
※「第三章 歴代の監督」(pp.11-12)のうち
(11) 福田闡正 編『洋上の光 : 殿堂記念』布哇浄土宗教団本部,1934.2【VE2-279】
pp.66-67「ワイナク教會」の項目に“主任 名護忍亮 助員 同 恒子”とあり、「名護開教使」「名護開教助員」の項目にそれぞれ紹介文があります。写真の掲載があり、本文末に“寫眞はワイナク教会前に於ける名護開教使夫妻”との説明があります。
そのほか、以下の資料に略歴の掲載がありました。
(12) 新保義道 著『ハワイ開教九十年史』山喜房仏書林, 1987.9【HM153-E2】
pp.179-180「五代 名護忍亮(一九二〇~一九三八)」
p.512「19 名護忍亮、同恒子」
[そのほかの調査済み資料]
現代仏教家人名辞典刊行会 編『現代仏教家人名辞典』東出版, 1997.9【HM2-G14】※現代仏教家人名辞典刊行会大正6年刊の複製
斎藤昭俊, 成瀬良徳 編著『日本仏教人名辞典』新人物往来社, 1986.5【HM4-6】◎
富田仁 編『海を越えた日本人名事典 新訂増補』日外アソシエーツ, 2005.7【GB12-H42】
『日系移民人名辞典 : 北米編 第2巻』日本図書センター, 1993.2【D4-E422】
『日系移民人名辞典 : 北米編 別巻 (人名索引)』日本図書センター, 1993.2【D4-E422】
手塚晃, 国立教育会館 編『幕末明治海外渡航者総覧 第2巻 (人物情報編)』柏書房, 1992.3【GB13-E58】
手塚晃, 国立教育会館 編『幕末明治海外渡航者総覧 第3巻 (検索編)』柏書房, 1992.3【GB13-E58】
日外アソシエーツ編集部 編『人物レファレンス事典 郷土人物編 そ-ん』日外アソシエーツ, 2008.8【GB12-J9】
『仏教海外開教史資料集成 ハワイ編 第5巻』不二出版, 2008.1【HM95-J2】
(参考)リサーチ・ナビ「日系移民関係資料(憲政資料室)」:https://rnavi.ndl.go.jp/emigration/jp/index.html
ウェブサイト最終アクセス:2023年6月15日
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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『仏教年鑑 昭和8年版』(仏教年鑑社 1932.12)p522 「名護忍亮」の項目あり
『酒巻和男の手記 : 真珠湾攻撃 : 捕虜第一号 改訂版』(青木弘亘 2020.8)情報なし
『仏教年鑑 昭和12年版』(仏教年鑑社 1936.12)情報なし
『日本仏教人名辞典』(法藏館 1992)情報なし
『浄土宗大辞典 第1~3』(浄土宗大辞典刊行会)情報なし
『新浄土宗辞典 改訂版』(隆文館 1978)情報なし
- NDC
-
- 各宗 (188)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 人文(レファレンス)
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000335261