レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/07/19
- 登録日時
- 2022/08/02 00:30
- 更新日時
- 2022/08/18 17:52
- 管理番号
- 12404457
- 質問
-
未解決
北鎌倉にある円覚寺本山内の塔頭である松嶺院と富陽庵との間にある境界線について調べている。
円覚寺内のそれぞれの塔頭間の境界線が載っているような円覚寺の古地図や境界線についての記述等を確認できる資料はないか。
利用者が円覚寺に問い合わせたところ、円覚寺にはないとのこと。
- 回答
-
ご照会について、古地図、境内図等を中心に調査しましたが、「松嶺院」と「富陽庵」の境界線がわかる資料は見当たりませんでした。
【 】内は国立国会図書館請求記号です。請求記号末尾に☆を付した資料は国立国会図書館デジタルコレクションのインターネット公開資料、◎を付した資料は国立国会図書館内/図書館・個人送信資料です。
次の資料に円覚寺の古絵図がまとまって収載されていますが、通覧する限り、絵図に境界線は見当たらず、当該頁中の解説でも「松嶺院」と「富陽庵」の境界線については触れていません。
(1)『史跡円覚寺境内・名勝及史跡円覚寺庭園保存管理計画書』鎌倉市教育委員会, 2010.3【KA344-J84】
「3.史跡・円覚寺境内・名勝及史跡円覚寺庭園の歴史的調査」>「(1)歴史資料」>「■古絵図」(pp.38-45)
・図6「円覚寺境内絵図」(国指定重要文化財) 元弘3年~建武2年(p.38)
・図7「円覚寺図」(『新編鎌倉志』所載)貞享2年(p.39)
・図8「日本輿地図 相州鎌倉之図」宝暦5年(p.40)
・図9「境内坪数并諸建物之絵図」寛政3年(p.41)
※図中に「松嶺院」「冨陽庵」と思われる記載が見え、これらを隔てる地形の様子と思われる描写がありますが、境界線ではないようです。
・図10「五街道其外延絵図 浦賀道見取絵図」(部分)(国指定重要文化財)文化3年(p.42)
・図11「円覚寺図」(『鎌倉攬勝考』所載)文政12年(p.43)
・図12「円覚寺境内図」(『新編相模国風土記稿』所載)天保12年脱稿(p.43)
この他、次のような資料の円覚寺関係の部分を通覧しましたが、お探しのような境界線に関する記述は見当たりませんでした。
○大日本地誌大系刊行会 編, 日本歴史地理学会 校訂『大日本地誌大系 第5冊』大日本地誌大系刊行会, 大正4【291.08-D17-DN】☆
・「新編鎌倉志」(pp.1-150)
「円覚寺」の項(pp.68-77)に、資料(1)図6「円覚寺境内絵図」と同じ図が掲載されています(p.69)。本文中「富陽菴」の項目(p.76)がありますが「松嶺院」には触れていません。
・「鎌倉攬勝考」(pp.177-376)
「円覚寺」の項(pp.235-241)に、資料(1)図11「円覚寺図」と同じ図が掲載されています(p.236)。図中に「富陽菴」と思われる記述が見えますが不明瞭であり、「松嶺院」はみあたりません。本文中に「富陽菴」がありますが(p.239)、「松嶺院」には触れていません。
○『鎌倉国宝館図録 第15集 (鎌倉の古絵図 1) 2版』鎌倉市教育委員会,1992.11【K16-E6】
「9 円覚寺境内絵図 寛政三年」
この図版は資料(1)図9「境内坪数并諸建物之絵図」(寛政3年)と同じ図版と思われます。
本図の解説「9 紙本淡彩 円覚寺境内絵図」(pp.18-20)に、本図中にある一つ書き部分の翻刻が収録されていますが、「松嶺院」「冨陽庵」に関する記述はありません。本文中に、塔頭の名称として「松嶺」「冨陽」という記述がありますが、境界線には触れていません。
同図版は以下の資料にも掲載されています。
・『社寺境内図資料集成 1 (国立歴史民俗博物館資料調査報告書 : 情報資料研究部)』国立歴史民俗博物館, 2001.3【G67-H1】
p.196「境内坪数并諸建物之図」
○鎌倉市市史編さん委員会 編さん『鎌倉市史. 近世通史編』吉川弘文館, 1990.3【GC78-169】◎
pp.336-347「第二章第二節 円覚寺の本末関係」
“天明六年における直末寺院で注目すべきことは、一つは寛永一〇年には断絶となっていた塔頭の復活であり(中略)復活された塔頭は”(p.341)として松嶺院と冨陽庵等、九塔頭を挙げています。また約40年後の文政七年の地誌書上の折にも存在し、『相模国風土記稿』に所収された旨の記載がありますが、境界線には触れていません。
〇国史大辞典(当館契約データベース:ジャパンナレッジLibにて確認)
「円覚寺塔頭一覧」
「富陽菴」の項目があり、“大仙庵の隣地にあり”と記載されていますが、松嶺院には触れていません。
〇『日本歴史地名大系』(同上)
「松嶺院」、「富陽庵」
〇神奈川県県民部県史編集室 編『神奈川県史 資料編 3 [2] (古代・中世 3 下)』神奈川県, 1979.3【GC74-3】◎
「九八二三 鶴隠周音等書上案」(pp.1313-1314)
〇神奈川県 編『神奈川県誌』神奈川県, 大正2【348-100】☆
p.302に円覚寺の寺域が6,862坪であること、塔頭として富陽庵、松嶺院等があることが記載されていますが、塔頭についての詳細な記載はありません。
○国立国会図書館サーチ https://iss.ndl.go.jp/
○次世代デジタルライブラリー https://lab.ndl.go.jp/dl/fulltext
○所蔵史料目録データベース(Hi-CAT)(東京大学史料編纂所)https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/w01/search
ウェブサイトの最終アクセスは2022年7月14日です。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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①円覚寺に塔頭間の境界線が載っている資料の所蔵なし
②登記簿謄本、公図には塔頭間の境界線についての記載なし
③次の資料に記載なし
『円覚寺史』春秋社, 1964、『鎌倉市史 社寺編』吉川弘文館, 1967、『鎌倉市史史料編2』吉川弘文館, 1967、『鎌倉国宝館図録 第15集 鎌倉の古絵図1』鎌倉市教育委員会, 1968、『鎌倉国宝館図録 第17集 鎌倉の古絵図3』鎌倉市教育委員会, 1970、『相州古文書 第3巻 改訂新編』角川書店, 1978、『湘南絵図研究』東京堂出版, 1982
- NDC
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- 各宗 (188 10版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 人文(レファレンス)
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000319465