レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 20230406
- 登録日時
- 2023/07/08 00:30
- 更新日時
- 2023/12/13 09:52
- 管理番号
- 0401005396
- 質問
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解決
金峰山(きんぽうざん、きんぼうざん))に立っている熊本市が作成した案内板に「832年、淳和天皇が奈良県の金峰山の蔵王権現を勧請して以来金峰山に改称した」と書かれていた。もとは飽田山(あきたさん)であったそうだが、その案内板の内容の根拠となる資料が知りたい。
- 回答
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金峰山の案内板に書かれている内容が記載されている最も古い資料は『肥後国誌』(1772年)であった。
- 回答プロセス
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【自館資料調査】
『日本歴史地名大系 44 熊本県の地名』を調査。
「金峰山」(p396)の項目に、
「かつては飽田山ともよんだが、天長九年(832)山頂に大和の金峰山権現を勧請し(現金峰山神社)、以後改称したという。」とあり。
「金峰山神社」(p377)の項目に、
「金峰山山頂にあり、祭神は安閑天皇ほか二神。かつては金峯山大権現と称し、「国誌」によると、天長九年(832)大和国の金峯山権現(現奈良県吉野郡)より勧請・・・」とあり。
※「蔵王権現」「飽田山」の項目なし。
「「国誌」によると」とあったため、『肥後国誌』を調査。以下の項目あり。
・「金峯山」(上巻 p125)
・「金峯山大権現社」(上巻 p126)に「当社ハ 淳和帝天長九年和州金峯山権現ヲ勧請ス・・・」とあり。
・「金峰山」(上巻 p203)
※「蔵王権現」「飽田山」の項目なし。
『熊本県大百科事典』を調査
p222に、「金峰山」「金峰山神社」の項目あり。
p678に、『肥後国誌』は明和九年(1772)森本一瑞が著した肥後の地誌とあり。
※「飽田山」の項目なし。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 日本歴史地名大系 44,平凡社,1985.3 (p396、p377|0111837845|C/290.3/ヘ/)
- 肥後国誌 上,森本 一瑞/編,青潮社,1972. (p125~126、p203|0111017018|C/290/モ/ 本書は復刻版)
- 熊本県大百科事典,熊本日日新聞社/編,熊本日日新聞社,1982.4 (|0111647095| p222「金峰山」「金峰山神社」、p678「肥後国誌」あり)
- キーワード
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- 金峰山(きんぽうざん)(きんぼうざん)(きんぷせん)
- 金峯山(きんぽうざん)(きんぼうざん)(きんぷせん)
- 淳和天皇(じゅんなてんのう)
- 肥後国誌(ひごこくし)
- 蔵王権現(ざおうごんげん)
- 飽田山(あきたさん)
- 金峰山権現(きんぷせんごんげん)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000335710