レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年6月14日
- 登録日時
- 2022/06/25 17:30
- 更新日時
- 2022/07/08 16:05
- 管理番号
- 県立長野-22-050
- 質問
-
解決
国道143号線の歴史について知りたい。
- 回答
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国道143号線は、松本市と上田市を結ぶ路線で、松本市を起点とし四賀村(現・松本市)会吉(あいよし)をとおり、会吉トンネルで本城村(現・筑北村)を経由し、青木峠を明通(あけどおし)トンネルで抜け青木村に入り、上田市が終点となっている。
明治期の長野県の施策である「七道開削事業」の一つで、2番目に着工されたので、第二路線と呼ばれていたようだ。次の資料を紹介した。
・『長野県史 通史編 第7巻』 長野県編 長野県誌刊行会 1988 【215.2/ナガ/5-7】
p.332-337 「道路と架橋」の明治期の七道開削事業の部分で触れている。明治15年3月の通常県議会に6路線の新道開削案を諮ったが、最終的に費用を賄うための県債募集について政府から許可が得られなかった。その後、8月と12月に臨時県議会を開き、旧甲州街道を含む7路線に変更し、承認を得ている。各路線の実施状況については、p.335の表82にまとめられている。
p.675-677にかけて、明治後半の交通の様子として、当該道路を利用した乗合馬車について、
(-前略-)中にはかなりの長距離路線もあり、その一例が上田-松本間を結んだ乗合馬車である。
篠ノ井線が開通するまでは多くの利用者があった。(-後略-)
・『長野県政史 第1巻』 長野県編・刊 1971 【N317/74/1】
p.177-180にかけて、七道開鑿事業についてまとめられている。県議会での争点や事業への寄付金、二線路だけに限らないが、いろいろな観点から言及されている。また、二線路に関しては、篠ノ井線開通の影響を受け荒廃していくが、この輸送事業の変遷については、p.456-467に記載がある。二線路の上田側の荒廃、松本側の使われ方をとらえる参考になると思われる。
・『四賀村誌』 四賀村誌編纂委員会編 四賀村 1978 【N233/49】
p.835-838にかけて、村内の道路についての沿革概要がある。これに続き、p.840-842に国道143号線について、まとめられたものがある。
(-前略-)元来上田・松本間は保福寺峠を経由する松本街道(明治一九年仮定県道となる)といわ
れたもので、峠が大変荒廃し、地勢も険阻なため、青木村で松本街道から分かれて本城村・中川村・
会田村・錦部村・上川手村・岡田村を経由して松本町に通ずる県道が計画され、フランス人の技師に
よる設計で、長年月と莫大な費用を要して明治二三年に全通した、東信中信を結ぶ重要な道路であ
る。(-中略-)明治三三年に篠ノ井線が西条まで延長されると、二線路の会田以東は急にその重要性
を失い、明治末年から大正にかけて部落のない山間地の道路は全く荒廃して崖崩れもそのまま放置さ
れ、路面も立木が生い茂るにまかせ、人さえ通れぬ場所もある程に荒れはてた。(-中略-)昭和四五
年六月には延長三八二メートルの刈谷原トンネルも貫通して距離も大巾に短縮された。(-後略-)
などの記述がある。また、峠部分の道路改修、新路線への付け替え、中川青木間の二大トンネルの計画などにも触れられている。p.844には、村内道路の各線について、総延長、幅員、舗装、木橋、永久橋、これらの調査年次、の表がある。
・『青木村誌 歴史編』 青木村誌編纂委員会編 青木村誌慣行委員会 1992 【N221/133/2】
p.64-69に、「二線路の開通」「信越線・篠ノ井線開通の影響」「人力車と乗合馬車」「荷車・運送馬車と自転車・リヤカー」の項が続き、明治期の青木村の交通事情が書かれている。青木-上田間の所要時間、運賃の記載のほか、上田-松本間の物資の輸送品である石炭についての記載もあった。
p.212に、昭和6年5月に、「失業救済土木事業」として、県道上田松本線改修第1期線2000メートルを着工、途中ストライキがあり、労働組合が結成された記述がある。昭和10年9月に青木村の区間は竣工しているようだ。
p.463-468にかけて、1990年代の青木村の交通事情が書かれている。国道143号線の舗装工事についての表がp.464にある。なお、p.468には、昭和28年時の「1日平均の交通量」の表があり、国道143号線と青木四ツ角の2地点の調査数が記されている。ただし、国道143号の調査地点がどこかは記載がなく、不明。
・『本城村誌 歴史編』 本城村誌編纂委員会編 本城村誌刊行委員会 2002 【N233/207/3d】
p.337-338にかけて、篠ノ井線の西条-篠ノ井間の開業後の運輸状況が、『信濃毎日新聞』明治33年11月3日2面の記事を引用して書かれている。この記事では、二線路による物流が一時期篠ノ井線へと流れるにせよ、西条から松本をはじめとする各地へのアクセスが峠越えを必要とするため、西条を集積地にするには無理がある、といった内容で、鉄道開業に対し、二線路を使った上田-松本間の輸送運賃の値下げも行われた旨の記術がある。
p.580-581の現代の部分では、国道143号線について、『ダイジェスト版過疎地域自立促進計画 平成12-16年』(長野県本城村)を引用し、上信越道・北陸新幹線への連絡道として改良を国・県へ要請していること、会吉トンネルの長大化の早期実現を記している。
・『上田小県県誌』 上田小県誌刊行会編 小県上田教育会 1968 【N221/12/3】
p.926-931に、二線路の開鑿、橋梁の新築等の記述があります。上田-青木間の道路設計に関する記述が、
上田と青木間の10kmの間に、18度の曲折が2か所、4度のものが1か所だけで当時としてはまこと
に破格のものであった。また、松本へこえる峠道も保福寺峠(1,345m)よりも勾配のゆるい地蔵
峠(1,016m)の道をえらんだことも、将来車の通行できることをねらいとしたものであった(図
472参照)。この設計を周囲から理解されぬまま古川技師は、間もなく左遷されたといわれる。
とあった。
・『東筑摩郡松本市・塩尻市誌 第3巻 下』
東筑摩郡松本市・塩尻市誌編纂会編・刊 1965【N233/10/3-2】
p.3-121に、道路輸送の歴史についてまとめられており、二線路についても記述や作表中に数値が散見されます。p.10に
(-前略-)県道松本街道(元の保福寺街道で明治二三年より改称)は通称第二線路といっている
が、同二三年までに開さくした。これは、岡田より大口沢を通り、四賀村錦部・会田・中川を経て、
地蔵峠および空峠を大隧道によって貫通し、小県の青木において保福寺街道に合するもので、従来
の保福寺越に比べれば一二キロ以上の延長であるが、上田・松本間はこれによって始めて車両が運転
されるようになった。しかし、旅客にはあまり利用されなかった。(‐後略‐)
とあった。
なお、明治15年の長野県会の様子は、『信濃毎日新聞』明治15年4月21日 および、明治19年8月26日の記事に見られる。
上記誌史類では、篠ノ井線西条駅開業以降の荒廃期以降の記述があまり多くない。また、隧道についてもほとんど触れられていないため、当時の工事の様子については不明。
県道から国道へ所管が変わった年月日の記載は、上記の各資料中に簡単に触れられているのみ。
国道143号線となった後について『信濃毎日新聞』での記事は次のとおり。
・「大型車お断り 国道143号線・会吉トンネル 低い天井、狭い幅員 松本建設事務所度重なる事故に悲鳴」
昭和51年(1976年)2月4日 朝刊 12面(会吉トンネル信号設置)
・「道38 小県青木村 第三のトンネル メドつかず、しびれ 取り残される143号線」
昭和55年(1980年)10月13日 朝刊 14面
・「四賀の143号トンネル 天井にひび 通行止めに」
平成8年(1996年)3月28日 朝刊 31面(会吉トンネル)
・「四賀本城境 143号トンネルのモルタル補修へ」
平成8年(1996年)3月29日 朝刊 31面
・「県北中部の大雨 青木の3世帯に避難勧告」
平成22年(2010年)7月3日 夕刊 7面(会吉トンネル)
・「県内全域で再び大雨 上田で4世帯避難勧告」
平成22年(2010年)7月4日 朝刊 39面
・「『青木峠に新トンネルを』早期建設要請へ村独自『村民会議』設立 未改良17キロにカーブ93」
平成25年(2013年)11月12日 朝刊 27面
・「話題を追って=青木峠の新トンネル建設 4市村に議連-動き活発 利便性向上へ高まる期待」
平成27年(2015年)11月14日 朝刊 31面
・「上田-松間に新バイパス 県、青木峠トンネル新設事業化へ 今春にもルート帯提示」
平成30年(2018年)1月24日 朝刊 1面
・「上田-松間の新バイパス 県がルート帯発表 青木峠付近 年度内に絞り込み」
平成30年(2018年)5月23日 朝刊 4面
・「トンネルと峠のカード集めよう 県、道の駅などで配布へ」
平成31年(2019年)11月16日 朝刊 33面
・「自立の青木さらに前へ(上)=国道143号改良、将来見据えた政策を 近づく中信、経済も生活も」
平成31年(2019年)3月19日 朝刊 28面
- 回答プロセス
-
1 国道143号線の起点終点等を確認する。
2 『長野県史 通史編』で概略を確認する。
3 上田市、松本市、青木村、旧・四賀村、旧・本城村の誌史類を調査する。『四賀村誌』『青木村誌 歴史編』に詳細な記述があった。しかし、トンネル、隧道の工事等の記載はない。
4 県会で議論が紛糾したことがわかったため、『長野県政史』を調べる。七道開削事業について、議会での経過が詳しく掲載されていた。
5 『上田小県県誌』『東筑摩郡松本市・塩尻市誌 第3巻下』なども調査対象とする。
6 郷土分類N514(道路工学)、N682(交通史.事情)の書棚で調査する。
7 当館契約の「信濃毎日新聞データベース」で「二線路」「明通」「会吉」「隧道」「トンネル」などで、年代を区切って検索する。
8 トンネルの長大化等の構想の記述が各市町村史誌に見られたので、「信濃毎日新聞データベース」でも、直近までを対象に検索したが、着工、完成などの記事は見られなかった。
9 実際の計画を確認するために、長野県の公式ウェブサイトで事業の動向を調べる。長野県と諏訪・松本・大北地域の自治体、経済団体が参加した「本州中央部広域交流圏結節機能強化に関する検討会議」が「本州中央広域交流圏の結節機能強化に向けた今後の方針」【最終確認2022.7.7】を示しており、黄道143号線の青木峠トンネルについても言及している。
<調査資料>
・『長野県政史 第2巻』 長野県編・刊 1972 【N317/74/2】
p.369-378にかけて、昭和恐慌についての記述があり、「県民経済救済」に関する道路改修事業につ
いて触れているが、二線路を取り上げてのものではない。
・『長野県政史 第3巻』 長野県編・刊 1972 【N317/74/3】
・『長野県政史 別巻』 長野県編・刊 1972 【N317/74/4】
・『建設のあゆみ』 長野県土木部編 長野県 1984 【N510/24】
・『松筑建設業沿革史』 長野県建設業協会松筑支部編・刊 1974 【N510/7】
- 事前調査事項
- NDC
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- 道路工学 (514 10版)
- 中部地方 (215 10版)
- 交通史.事情 (682 10版)
- 参考資料
-
-
長野県/編集 , 長野県. 長野県史 通史編 第7巻. 長野県史刊行会, 1988.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005947138-00 (【215.2/ナガ/5-7】) -
長野県. 長野県政史 第1巻. 長野県, 1971.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001207141-00 (【N317/74/1】) -
四賀村誌編纂会/編 , 四賀村誌編纂会. 四賀村誌. 四賀村, 1978-03.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I059161107-00 (【N233/49】) -
青木村誌編纂委員会/編 , 青木村誌編纂委員会 , 青木村誌編纂委員会. 青木村誌 歴史編. 青木村誌刊行会, 1992-09.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I058899458-00 (【N221/133/2】) -
本城村誌編纂委員会/編 , 本城村誌編纂委員会. 本城村誌 歴史編. 本城村誌刊行委員会, 2002-02.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I070632150-00 ( 【N233/207/3d】) -
上田小県誌刊行会 編. 上田小県誌 第3巻 (社会編). 小県上田教育会, 1968.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001211680-00 (【N221/12/3】) -
東筑摩郡松本市・塩尻市郷土資料編纂会/編 , 東筑摩郡松本市・塩尻市郷土資料編纂会 , 東筑摩郡松本市・塩尻市郷土資料編纂会. 東筑摩郡・松本市・塩尻市誌 第3巻. 東筑摩郡松本市・塩尻市郷土資料編纂会, 1965-11.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I059270660-00 (【N233/10/3-2】)
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長野県/編集 , 長野県. 長野県史 通史編 第7巻. 長野県史刊行会, 1988.
- キーワード
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- 第二路線
- 国道143号線
- 明通トンネル
- 会吉トンネル
- 七道開削
- 道路政策
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000317690