レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年12月12日
- 登録日時
- 2023/12/12 18:30
- 更新日時
- 2023/12/21 21:02
- 管理番号
- 小野05-026
- 質問
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未解決
鎌倉時代、北条氏に仕えていた仁田忠正について書かれた資料はあるか。北条氏に破門されたらしい。
- 回答
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まず、当館所蔵の辞書・事典を調べたところ、「新田氏・仁田忠常」はあったが、「仁田忠正」の項目はなかった。次に、仁田忠常が鎌倉時代の人物であったことから、「新田氏・仁田忠常」の項目から忠正につながる資料はないか捜索していった。
【仁田忠正について】
1.『国史大辞典 11巻』吉川弘文館
p.67 新田氏(にったし)(二)より、「伊豆の新田氏は、その発祥地が伊豆国田方郡仁田郷で、ふつう仁田氏と書き、「にたんし」と~中略~鎌倉時代の初期、源頼朝に属した仁田四郎忠常が出ており、~中略~北条氏により滅ぼされた。」とある。
また、系譜図が載っており、忠常の左隣に忠正の名前が載っていたことから、仁田忠正は仁田忠常の弟であることが推察される。
なお、同辞典のp.67に「仁田忠常」の項があったが、その説明分の中に忠正の名前は載っていなかった。なお、仁田忠常は仁田四郎、仁田は新田・日田と書くことがあることが、分かった。
2.『姓氏家系大辭典 第3巻』角川書店
p.4500 新田(にった)33 藤原南家天野氏族 より、「仁田四郎忠常と載せ、又四郎の弟に仁田五郎、六郎、仁田忠時等あり。」(一部抜粋)
3.『日本人名大事典 5』平凡社
p42 仁田忠常(にったただつね)より、「忠常の二弟五郎、六郎の二人は憤激の餘り義時を政子の邸に襲撃し、五郎は波多野忠綱に殺され、六郎は自殺した。」(一部抜粋)
資料1~3より、仁田忠正と仁田五郎は同一人物であると推察される。
さらに、インターネットで「仁田忠正 忠常 伊豆」等のキーワードで検索すると以下の動画がヒットし、仁田忠正(五郎)であることが分かった。
<インターネット>
静岡県函南町公式YouTube『大河ドラマ函南町ゆかりの地「仁田忠常の墓」』(動画内の墓石に「五郎 忠正公」の名前あり)
https://youtu.be/BCaa8tybdig?si=HCvebEwKPGrMJ6Gp
以上のことから、「仁田忠正 仁田五郎」で再度調べたが、当館資料で名前が載っていたのは資料1~3のみであり、亡くなった時のことしか記載が見つからなかった。
【次世代デジタルライブラリーより】
「仁田忠正」では資料が一件もヒットしなかったが、「仁田五郎」で検索すると数件該当資料がヒットした。
ⅰ『本朝会稽山 5巻』其磧, 自笑 1728年 73コマ(現代文語訳あり)
ⅱ『鎌倉史 巻之30-43』小川弘 (北海) 著||村田直景 校 1884年 76コマ(漢文のみ)
ⅲ『豆州志稿 巻之13』秋山章 著||萩原正夫 1895年 44コマ(書き下し文あり)
ⅳ『鎌倉北条九代記』思誠堂 1884年 62コマ
Ⅴ『鎌倉三代記』戯笑散人 編 1887年 106コマ
(いずれも最終確認:2023/12/12)
以下の資料は確認したが、仁田忠正(五郎)の記載がなかった。
『日本大百科全書 17』 小学館
『朝日日本歴史人物事典』 朝日新聞社 仁田忠常の項目はあったが、その中に仁田忠正(五郎)に関する記載はなかった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本史 (21)
- 参考資料
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1.国史大辞典編集委員会 編. 国史大辞典 第11巻 (にたーひ). 吉川弘文館, 1990.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002077223-00 , ISBN 4642005110 -
2.太田亮 著 , 太田亮. 姓氏家系大辞典 第3巻 ナ-ワ. 角川書店, 1963.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I077699746-00 -
3.日本人名大事典 5. 平凡社, 1986.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I073576346-00
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1.国史大辞典編集委員会 編. 国史大辞典 第11巻 (にたーひ). 吉川弘文館, 1990.
- キーワード
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- 仁田,忠正
- 仁田,忠常
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介 所蔵調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000343354