レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/07/18
- 登録日時
- 2015/03/18 00:30
- 更新日時
- 2015/11/28 14:09
- 管理番号
- 0000001201
- 質問
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解決
江戸時代の大名はどのような銚子や徳利をもちいていたか。なぜそういうデザインが好まれたか。
- 回答
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(1)『加賀藩料理人舟木伝内編著集』の「料理方故実伝略」p34に「但酒は冷酒なるべし。惣而長柄の銚子にて無之共土器に急度御盃事有之時はいつにても冷酒出すべし」とあります。
(2)「惣而長柄の銚子にて無之共(すべて長柄の銚子というわけではありませんが)」とありますが、長柄の銚子は、『酒と器のはなし』p83に、祝宴用に装飾されたもの写真があります。
同書には、「うやうやしく礼をつくす、もてなしの酒注ぎには向いています。注ぐ側と注がれる側の距離が、人間関係の距離感を表しているようです。厳粛さを醸し出す雰囲気の長柄銚子は、現在でも神前での式、たとえば結婚式などに酒注ぎ器として使用されています。」と解説されています。
(3)このように儀式の際には長柄の銚子が使用されたことは、江戸城の元日の大広間酒礼を描いた「千代田之御表」という錦絵にも見ることができます(『乾杯の文化史』p81)。
(4)(1)の資料に「惣而長柄の銚子にて無之共」とあるように、長柄でなければどんな酒器があるのかを見ていきますと、
『酒と器のはなし』p84~87に、
○江戸時代に入ると、燗つけ専用であった堤子が「鉄銚子」と呼ばれるようになり、江戸中期ごろに描かれた浮世絵によく登場し、形も急須型になて使いやすく、直接火にかけることができるようになっている。
○寛永年間(1625-1644)から染付磁器により、鉄銚子を参考に染付磁器による銚子が作られるようになる。
とされています。
○江戸時代の末期には燗徳利が主席の主役の座につく。
という酒器の変遷について述べられています。
この中で、に染付磁器による銚子には、「色絵磁器製の銚子などもつくられますが、これは大名など特定の使用に限られていたようです。」との説明があります。p86には古九谷による、色絵花鳥文銚子の写真が掲載されています。
(5)冷酒で飲むことなどを考えると、長柄でなければ上記のような染付磁器による銚子が用いられていたことが考えられます。
徳川美術館には、「色絵獅子牡丹文銚子(古九谷様式)」のような銚子が所蔵されています(http://www.tokugawa-art-museum.jp/planning/h22/03/obj09.html 確認日:2014-07-18)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 風俗習慣.民俗学.民族学 (38 9版)
- 参考資料
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- 1 加賀藩料理人舟木伝内編著集 大友 信子∥編 川瀬 康子∥編 桂書房 2006.4 K596/1041
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2 酒と器のはなし 佐藤/伸雄?著 海鳥社 2005.11 383.88/10034 -
3 乾杯の文化史 神崎/宣武?編 ドメス出版 2007.10 383.88/10043
- キーワード
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- 酒器
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000169248