レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年09月08日
- 登録日時
- 2021/09/09 13:58
- 更新日時
- 2023/01/25 10:35
- 管理番号
- R03-019
- 質問
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解決
渋沢平九郎が自刃した頃の「顔振峠」の読み方が知りたい
- 回答
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渋沢平九郎が自刃した慶応4年(1868)に、どのように呼ばれていたかについて記載されている資料は見つからず。
過去には顔振(こおぶり、またはこうぶり)峠と呼ばれていたが、地元近辺では顔振(かあぶり)と呼ぶ人が多かった為、現在では顔振(かあぶり)峠の呼称に統一、修正されている。
郷土の歴史のため、飯能市立博物館も紹介。
なお飯能市立博物館問い合わせたところ、「地元の人は(かあぶり)と呼ぶため、現在ではこの呼称としている」との回答あり。
また、国道299号線 吾野トンネル西側出口付近の道路標示板には「顔振峠-kaburi pass」と表記されている。(確認時期 2019年6月現在)
事後調査で判明したこと
追加情報
2022.2.13
神山 弘・ 新井 良輔∥共著『増補ものがたり奥武蔵 伝説探訪二人旅』(金曜堂出版部 1984)p170 呼び方を変えられた顔振峠 には、「 五万分の一の地図に「こうぶり」と仮名を振られたため、今ではほとんどの人がこう呼んでしまっています。しかし昔から、村ではこの峠を「かあぶり」と発音します。 」との表記あり。
2022.3.21
YouTubeにて確認。 説経節の太夫、三代目 若松若太夫 氏が、説経節・飯能の嵐 渋沢平九郎の最期の二日間(2021年制作/2020年撮影)で、渋沢平九郎ゆかりの地を回りながら語る中、「かあふりとうげ」と発音するとともに、現地案内画像においても顔振峠の文字に「かあふりとうげ」とルビがふられている。
https://youtu.be/cPgFwYmu6MM(2022.3.21確認)
- 回答プロセス
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郷土の地名に関する問い合わせのため、郷土資料を中心に調査した。
飯能市史編集委員会編集『飯能市史 資料編 11 地名・姓氏』(飯能市役所発行 1986)では、p3,p102に「コウブリトウゲ」との表記あり。
ただしp102の長沢地区の説明には【『風土紀行』は、杉ノ峠を「この峠をかはぶり峠……村内より江戸へ出る者は、必ずこの峠へかかれり」と記す。】とある。
新井 清寿 著『飯能の伝説』(郷土史研究会発行 1976)p71の顔振峠の項に、「……斎藤鶴磯の「武蔵野話」には、つぎのようにあります。『越生領黒山村に嶺(とうげ)あり。上方より向ふは高麗郡長沢村なり。この嶺をカアブリ嶺といふ。終りの嶺を足が窪嶺といふ。その頭に有ゆえ冠嶺(かぶりとうげ)といふ。方言にてカアブリと唱る……』」と記されている。
蘆田 伊人∥校訂 根本 誠二∥補訂『新編武蔵風土記稿 第9巻 新訂増補版』(雄山閣 1996)p63下 巻之百七十五 入間郡之二十 越生鄕 黑山村 おかみやまの項に「かはぶり峠 越生邊より高麗郡長澤村への往來にかゝれり、絕頂を郡界とす、村内より江戸へ出るものは、必この峠へかゝれり、」との記載あり。(黑山村の現行町名は、埼玉県入間郡越生町黒山)p218下 巻之百八十五 高麗郡之十 長澤村 杉ノ峠の項に、「村の北入間郡の界にあり、登ること廿町許にして絕頂に至る、それより入間郡の方へ下ること、十二頂許にして黑山村に至る、尤嶮岨の山路なり、土人この峠をかあふり峠とも云り、」と記載あり。(長澤村の現行町名は、埼玉県飯能市長沢)
斎藤 鶴磯∥著『武蔵野話』(有峰書店 1976)p239武蔵野話 二編之二 入間郡・高麗郡 に「越生領黒山村に嶺あり。北方より向ふは高麗郡長澤村なり。この嶺をカアブリ嶺といふ。按ずるにこの嶺は秩父山の入り口にて嶺のはじまりなり、終の嶺を足が窪嶺といふその頭に有ゆゑ冠嶺といふ。方言にてカアブリと唱る故に本字を失ふとおもはる。…」とある。(文書中「嶺」は「たうげ」、「冠嶺」は「かぶりたうげ」とルビ有)
一般社団法人奥むさし飯能観光協会発行『飯能 ハイキングマップ HANNO City Hiking Map』(2020年4月発行) での表記は「かあぶり」とルビが降られている。
なお、『世界大百科事典 改定新版』(平凡社 2007)p468新編武蔵風土記稿によると、「新編武蔵風土記稿は1828年(文政11)成立」とあるため、その当時地元で「かはぶり峠」「かあふり峠」と呼ばれていたことは確かであろうと考えられる。
だが、渋沢平九郎が自刃した慶応4年(1868)に、どのように呼ばれていたかについて記載されている資料は見つからず。
追加情報
2022.213
神山 弘・ 新井 良輔∥共著『増補ものがたり奥武蔵 伝説探訪二人旅』(金曜堂出版部 1984)p105 義経と顔振峠 に「 この峠名を俚人はカアブリ峠と発音しているので、私は地形から出た地名の冠峠か、被(文書中、かぶ とルビあり)り峠だろうと推定しています。帽子などをかぶることをかうぶるとも言うからです。」とある。
また、同資料p170 呼び方を変えられた顔振峠 には、「 五万分の一の地図に「こうぶり」と仮名を振られたため、今ではほとんどの人がこう呼んでしまっています。しかし昔から、村ではこの峠を「かあぶり」と発音します。 」との表記あり。
2022.3.21
YouTubeにて説経節の太夫、三代目 若松若太夫 氏が、説経節・飯能の嵐 渋沢平九郎の最期の二日間という作品をあげているのを確認(2021年制作/2020年撮影)https://youtu.be/cPgFwYmu6MM(2022.3.21確認)
2023.1.25
大久根茂『秩父の峠』 (さきたま出版会 , 1988)のpp.96〈義経が絶賛した眺望〉顔振(かあぶ)り峠に「現在使われている二万五千分の一地図には「顔(こう)振峠」-中略-明治四十三年につくられた五万分の一地図では「面振(コーフリ)峠」、明治九年の『武蔵野国郡村誌』の中の黒山村(現在の越生町黒山)の条には「面振(かほふり)峠」-中略-江戸時代に目をやると、『新編武蔵風土記稿』の黒山村の条では「かはぶり峠」、また長沢村(現在の飯能市長沢)の条では「杉ノ峠」と紹介しているが「土人この峠をかあふり峠云へり」とも記されている。この本は文化・文政年間に刊行されたものだが、ほぼ同じころに出された『武蔵野話』の中にも「カアブリ峠」とある。安永九年の『武蔵演路』には「かふり峠」というんまえで出ていて-後略-」との表記あり。
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 10版)
- 伝説.民話[昔話] (388 10版)
- 日本 (291 10版)
- 参考資料
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飯能市史編集委員会 編 , 飯能市史編集委員会. 飯能市史 資料編 11. 飯能市, 1986.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I077498741-00 -
新井清寿 編著 , 新井, 清寿, 1910-1992. 飯能の伝説. 飯能郷土史研究会, 1976.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001246731-00 -
[間宮士信等原編] ; 蘆田伊人編集校訂 ; 根本誠二補訂 , 間宮, 士信 , 蘆田, 伊人 , 根本, 誠二. 新編武蔵風土記稿 : セット,第1巻,第2巻,第3巻,第4巻,第5巻,第6巻,第7巻,第8巻,第9巻,第10巻,第11巻,第12巻,索引篇 [第四期版]. 雄山閣, 1996. (大日本地誌大系 / 蘆田伊人編, 7-18)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I008226069-00 -
斎藤 鶴磯/著 , 斎藤‖鶴磯. 武蔵野話. 有峰書店, 1982.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I005800712-00
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飯能市史編集委員会 編 , 飯能市史編集委員会. 飯能市史 資料編 11. 飯能市, 1986.
- キーワード
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- 顔振峠
- 渋沢平九郎
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 地名
- 質問者区分
- 団体
- 登録番号
- 1000304462