レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年06月25日
- 登録日時
- 2022/03/28 11:29
- 更新日時
- 2022/03/29 10:05
- 管理番号
- 横浜市中央2658
- 質問
-
解決
横浜市瀬谷区にある海軍道路について知りたい。
- 回答
-
横浜市瀬谷区北部に位置する「海軍道路」は、第二次世界大戦当時に設けられた
旧日本海軍の施設にあわせて整備された道路であったため、その名で呼ばれています。
大戦後、海軍施設はアメリカ軍に接収され、米海軍の「上瀬谷通信施設」として使用されて
いましたが、現在は返還され、海軍道路は幹線道路の環状4号線として整備されています。
道筋には桜並木があり、瀬谷区内の桜の名所としても知られています。
1 『相鉄沿線の不思議と謎』
浜田弘明/監修 実業之日本社 2017.1
p.106-108「一直線に延びた道が「海軍道路」と呼ばれるのはどうして?」
海軍道路について名称の由来、米海軍接収後に一般開放される経緯など、解説。
2 『地図で辿る瀬谷の移り変わり』
横浜・瀬谷地図くらぶ/編 横浜・瀬谷地図くらぶ 2004.7
p.90-111「海軍道路の今昔と大日本兵器(株)工場跡地について」
瀬谷にあった海軍施設と、瀬谷駅から施設に通じる鉄道の専用線、専用線に並走する
軍用道路等について、史料を調査し、当時を知る人に聞き取りをするなどして
まとめている。
3 『愛称道路』横浜市道路局/編 横浜市道路局 1978.12
p.91「愛称道路 瀬谷区」
本書は、横浜市道路局が昭和51(1976)年度から市民参加で行った事業により愛称を
つけた道路をまとめたもの。
「海軍道路;起点・瀬谷町~終点・北町;延長2,850m;市道;昭和15年頃、現在の
上瀬谷通信基地内に我国の海軍施設で横須賀海軍資材集結所が設置され、物資輸送の
ため、建設された海軍用の道路であったことからきた呼称である。飛行機の離着陸も
可能なように周囲より1mほど高くなっていた。南門は海軍用地と民有地の境で、
当時は堅固な門があり、銃剣を持った番兵が警戒にあたっていた。」
4 『横浜市と米軍基地』横浜市総務局渉外部/編 横浜市総務局渉外部 1970.6
p.24-25「上瀬谷通信施設(FAC3096)」
本書以後ほぼ毎年刊行されている、横浜市内の米軍基地の現状や返還に関わる状況
についてまとめた冊子。上瀬谷通信施設の接収の経緯、海軍道路ほか用地の使用や返還
に関する米軍との交渉経過など、各年度の状況を知ることができる。
5 『神奈川の米軍基地』
神奈川県渉外部基地対策課/著 神奈川県渉外部基地対策課 1980.3
p.95-101「上瀬谷通信施設」
『横浜市と米軍基地』の神奈川県版。同様の内容を県としてまとめたもの。
数年に一度くらいの頻度で刊行。
6 「市民グラフヨコハマ」
横浜市市民局相談部広報課/編 横浜市市民局相談部広報課 1971-2003 季刊
横浜市発行の広報グラフ誌。122号で終刊。瀬谷の名所として、海軍道路を
写真とともに紹介。
(1) No.71(1990.3)「横浜最新名所案内」
p.61「海軍道路 瀬谷区中央、本郷、中屋敷、瀬谷町」
砂利道だった海軍道路の整備が始まったのは、昭和49(1974)年頃という。
(2) No.100(1997.6)「愛蔵版百号記念横浜百景」
p.135「海軍道路 瀬谷町ほか」
(3) No.112(2000.6)「訪ねて偲ぶ横浜18区歴史の風景」
p.60-61「旧海軍の鉄道、その名残の「海軍道路」瀬谷町」
7 「横濱YOKOHAMA」横浜市市民局広報課/編 神奈川新聞社 2003-2022 季刊
横浜市の広報雑誌。現在継続刊行中。
(1) Vol.4(2004年春号)「特集・さくら満開!横浜の春」
p.30-31「桜と菜の花の競演が鮮やかな直線道路」
(2) Vol.18(2007年秋号)「横浜の街道今昔」
p.31-34「瀬谷の道」
海軍道路を市内有数の桜並木として簡単に解説。
(3) Vol.34(2017年秋号)「特集・相鉄線新たな魅力」
p.34「一直線の「海軍道路」とはなにか?」
第二次世界大戦中、大戦後、そして現在まで、海軍道路の経緯を簡潔だが、参考資料
を掲げてしっかりまとめている。
(4) Vol.70(2020年秋号)「特集・ヨコハマ秋散歩」
p.30「瀬谷銀行跡と海軍道路」
海軍道路については折に触れ、新聞等で記事に取り上げられ、道路整備や桜並木の保全、毎年の祭りなど、
その様子を知ることができます。
8 「神奈川新聞」神奈川新聞社 日刊
地域面を中心に、上瀬谷通信施設や海軍道路の話題を掲載。横浜市立図書館で
「Webマイクロフィルム」を閲覧できるほか、神奈川県立図書館の記事索引や
検索ページで記事検索が可能。
(1) 「神奈川新聞Webマイクロフィルム」(オンラインDB)神奈川新聞社
横浜市立図書館で閲覧可能。目次・索引、検索機能はなし。
(2) 『神奈川県関係新聞記事索引』神奈川県立図書館/編 神奈川県立図書館
第1集~第37集。昭和34(1959)年1月から平成9(1997)年12月までに
掲載された、神奈川県内の関連新聞記事索引。神奈川新聞以外も収載。
(3) 「神奈川県関係記事・文献情報検索」神奈川県立図書館
https://www.klnet.pref.kanagawa.jp/k_bunken/
上記『記事索引』収載期間以後の記事も検索可能。
9 「タウンニュース 瀬谷区版」タウンニュース社瀬谷区編集室 隔週刊
地域情報紙(ミニコミ)の平成14年(2002)年から発刊されている瀬谷区版。
ホームページで記事検索も可能。
「タウンニュース(ホームページ)」タウンニュース社
https://www.townnews.co.jp/
海軍道路については、第二次世界大戦時に敷設された瀬谷駅から延びる鉄道の専用線の跡として語られることが
多いですが、専用線がどのようであったか、地形図等から知ることができます。
10 「1/50000地形図 藤沢(東京)」
建設省国土地理院/〔編〕 建設省国土地理院 1913-1997
昭和21(1946)年10月30日発行(明治42年測図、大正10年修正及昭和20年部分
修正測図)の地図には、瀬谷駅から延びる鉄道の専用線と、それに並走する南北の直線
道路が見える。
11 「横浜市航空写真[昭和22~23年]1」財団法人日本地図センター 〔1947〕
第二次世界大戦後、日本に進駐した米軍が撮影した航空写真。瀬谷上空から撮影した
写真には、瀬谷駅から北に延びる鉄道専用線(跡)が確認できる。国土地理院の
Webサイトでも閲覧できる。
「地図・空中写真閲覧サービス」国土地理院
https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1
このほか、次の地形図や住宅地図などでも、海軍道路と周辺の変化を追うことができます。
12 「横浜市1/2500地形図」横浜市計画局/[編] 横浜市 1971-2020
横浜市が昭和46(1971)年から作成する地形図。時期によって図郭が異なるが、
海軍道路は図名「瀬谷」「上瀬谷」「上川井」「橋戸」「深見」「五貫目」「目黒」に掲載。
道路拡幅、桜並木の整備など、読み取ることができる。
13 『住宅地図 瀬谷区』ゼンリン、『瀬谷区明細地図』経済地図社 1962-2021
昭和44(1969)年より前の『戸塚区明細地図』と併せ、昭和38(1963)年以降の様子
が確認可能。
14 横浜市瀬谷区役所ほかWebサイトから
(1) 「(瀬谷区)海軍道路の概要について」横浜市瀬谷区役所
https://www.city.yokohama.lg.jp/faq/kukyoku/seya/seya-kusei/20211101162424356.html
海軍道路の名称の由来、桜の植樹時期など。
(2) 「瀬谷ふるさと歴史さんぽ道 鎌倉古道北コース」横浜市瀬谷区役所
https://www.city.yokohama.lg.jp/seya/shokai/bunkazai/sanpo/kita/corse04.html
(3) 「都市計画道路 最近開通した路線 環状4号線(上瀬谷地区)」横浜市道路局
https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/doro/kensetsu/douro/kaitsu/kamiseya.html
(4) 「海軍道路の桜並木の検討状況について」横浜市都市整備局
https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/machizukuri-kankyo/toshiseibi/jokyo/sonota/kamiseya/default20210315.html
老木化した桜並木のこれからを検討。桜並木の概要や沿革について資料に
まとめられている。
(URLアクセス確認:令和4年1月25日)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 8版)
- 軍事施設.軍需品 (395 8版)
- 鉄道運輸 (686 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土 地名
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000314192