レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2017年07月19日
- 登録日時
- 2017/10/17 10:48
- 更新日時
- 2019/11/27 09:56
- 管理番号
- 京歴-352
- 質問
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解決
大城貞夫という静岡県出身の版画家が、京都にいたことが分かる手がかりが欲しい。京都で図案家という職業をしており、かなり景気が良かったらしいが、そのことが分かる資料はないか。
- 回答
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①のp.82に「大城貞夫」の経歴があり、京都在籍時の勤務先・所属として「航空機乗員養成所」「京都市立淀中学校」「京都版画協会」が記されていた。
②のp.45に「航空機乗員養成所」の教官として大城の名があり、また、p.74の「本科第五期生教官名」には、大城貞夫が「図画」「製図」「工作実習」の教官として記載されていた。
③のp.13に教職員名簿と在職期間があり、大城貞夫は淀中学校に昭和24年4月1日から昭和24年10月31日まで在籍していたことが判明した。また、京都版画協会が編集した④に大城貞夫による「御所今出川御門」と題した版画があり、提供した。
- 回答プロセス
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Googleで「大城貞夫△版画家」を検索すると、①がヒットした。①のp.82にある経歴によると、「1942 年から1945 年にかけては、京都、茨城県古川、愛媛県今治の航空機乗員養成所に勤務し、1944 年には日本版画協会会友に推挙されたが、出品はなかった。…(中略)…1948年には静岡県版画協会の結成に参加。翌年の第1回展に出品したが、京都市立淀中学校教頭として赴任したため退会。翌1950 年には学校を辞め、染色図案家として独立。1951 年には徳力富吉郎らと『京都版画協会』を結成し、1955 年の第5回展まで出品した。」とある。
京都で勤務したとされる航空機乗員養成所の記録と淀中学校の学校史の資料をOPACで検索したところ、②と③がヒットした。②のp.45に「教授科職員」として大城貞夫の名があり、また、p.74の「本科第五期生教官名」には、大城貞夫が「図画」「製図」「工作実習」の教官として記載されていた。③のp.13に教職員名簿と在職期間があり、大城貞夫は昭和24年4月1日から昭和24年10月31日まで在籍していたことが判明した。
また、大城が結成した「京都版画協会」をキーワードにOPACを検索すると④があり、中には「御所今出川御門」と題する大城の版画が収録されていた。
- 事前調査事項
- NDC
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- 幼児.初等.中等教育 (376)
- 木版画 (733)
- 参考資料
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- ① “近代日本版画家名覧(1900-1945)”. 版画堂. http://www.hanga-do.com/img/Hangadomeiran103.pdf (最終確認日:2017-09-20)
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② 京都航友会 , 京都航友会. 青春の証京都航空機乗員養成所誌. 京都地方航空機乗員養成所京都航友会, 1989.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I064823562-00 (当館請求記号:K261||538.8||Ky6||) -
③ 淀中学校 , 淀中学校. 二十八年の歩み. 淀中学校, 1975.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I064801326-00 (当館請求記号:K17||376.3||Y73||) -
④ 京都版画協会 , 京都版画協会. 京の町 : 版画集. 京都版画協会, 1953. (京都版画協会作品)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I065199002-00 (当館請求記号:K1||733||Ky6||)
- キーワード
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- 版画家
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000223222