レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年02月07日
- 登録日時
- 2023/06/15 12:48
- 更新日時
- 2024/01/10 15:38
- 管理番号
- 2022-0133
- 質問
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解決
中野療養所がなぜ国立病院になったのか、その経緯が知りたい。
- 回答
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昭和22年(1947)1月に日本医療団の解散が決定し、結核療養施設として使用可能なものが国(厚生省)に移管された。
昭和9年東京市療養所開所→昭和18年日本医療団に移管→昭和22年厚生省に移管となっている。
以下の資料に記述あり。
『国立病院・療養所五十年史』
p136「表4 国立病院・療養所再編成全体計画」
p137「表5 再編成計画の進捗常行」
p159~162「4 国立国際医療センター」
p393「2 国立高度専門医療センターの変遷」
p567「国立国際医療センター」に記載あり。沿革が中心。
『日本医療団史』
p109「設備出資金内訳書」
p171「国へ経営移管時の療養所及び奨健寮一覧(昭和22年3月末)」に記載あり。
『厚生省五十年史 資料編』
p153「施設等機関・地方支分部局の活動状況 国立療養所 国立療養所中野病院」あり。
沿革。
『中野区史 別冊』
p265「(三)國立中野療養所」
『中野区史 昭和編 1』
p269~278「2社会事業施設の普及と貧窮者の増大 東京市療養所の設立」写真もあり。
p276「第68表 中野区の社会事業施設(設立年月順)」
『厚生省五十年史 記述編』
p675~686「第二項 医療施設」中野療養所の固有の記述はありませんが、戦後の国立病院の再編を含めて、医療体制の転換に関する記述あり。
【インターネット情報】
『江古田遺跡 発掘調査報告書』 182コマ目~「景観の移り変わりから見た旧国立療養所中野病院の沿革」
https://archive.nakano-library.jp/d_archive/806169359/
185コマ目下段から国立になった経緯あり。186コマには、明治期からの結核関連の法律も含め、東京市療養所の設立から戦後の移管、平成5年の国立療養所中野病院廃止までが年表にまとめられている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 8版)
- 衛生学.公衆衛生.予防医学 (498 8版)
- 参考資料
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- 『国立病院・療養所五十年史』[政策医療振興財団] [編] 政策医療振興財団 2001 (498/Se19 地下書庫和図書 000051211)
- 『日本医療団史』日本医療団 編 日本医療団 1977.12 (498/N71 地下書庫和図書 000063387)
- 『厚生省五十年史 資料編』厚生問題研究会 1988.05 , ISBN 4805804475 (317/Ko83 閉架一般 000038452)
- 『中野区史 別冊』東京都中野区 編者 東京都中野区 1951.03 (213.6/To46/B 閉架一般 000021388)
- 『中野区史 昭和編 1』中野区 1971 (213.6/To46/1 閉架一般 000021389)
- 『厚生省五十年史 記述編』厚生問題研究会 1988 , ISBN 4805804475 (317/Ko83 閉架一般 000039979)
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『江古田遺跡 発掘調査報告書』
https://archive.nakano-library.jp/d_archive/806169359/ (2023/6/15確認)
- キーワード
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- 中野療養所
- 中野区
- 江古田
- 東京市療養所
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 2022-0129関連
- 調査種別
- 文献紹介 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 団体
- 登録番号
- 1000334527