レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年02月08日
- 登録日時
- 2018/02/23 11:24
- 更新日時
- 2023/07/22 13:35
- 管理番号
- 島根郷2018-02-004
- 質問
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解決
島根県に菅原道真と梅の実についての伝承があると聞きました。どのような内容か知りたいです。
- 回答
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当館所蔵資料より下記の資料を紹介し回答。
資料1:p381-384「菅原天満宮の創建」
p382に、狩野清太夫筆縁起書(狩野道彦家文書)の内容が紹介されている。
・野見宿祢の孫とされる、菅原是善が、当時の山田村に下向する
・道案内をした狩野の娘を見初め、これを愛し、女は懐妊
・是善は任期終了時、子どもを4歳まで養育し、京都の屋敷に連れてくるよう言い残して帰京する
・女は承和12年春に出産、鹿児丸と名付け6歳まで養育したが、才知に優れていたため、京都に連れて行き、是善の南庭の梅花の下に置いて、女は帰郷する
・是善は鹿児丸を道真として寵愛する
・帰郷した女は、梅の種に穴をあけ糸をつないだもの(これを鼻繰梅という)を大切にした
・道真が死去すると、この梅にその霊神を祭り、菅原天神をした。また、この里を菅原と呼ぶようになった
資料2:p84「菅原天満宮」の項に記載あり。
「由緒・沿革」には、菅原道真はこの地に誕生し、6歳の時に母と上京し父・菅原是善と対面したと伝わっている。「菅原宮司宅庭の鼻繰神梅は、道真公の遊具(梅核)の芽生えたものと伝えられ梅核に孔が通っている」とあり。
資料3:「八束郡」p3に「菅原天満宮の縁起」の項あり。
菅原是善と来待村・狩野家の娘(春才姫)との間に生まれたのが菅原道真とする。道真3歳の時に母(春才姫)は道真を連れて上京し、是善の言いつけ通り醍醐の花園において帰った。道真を忘れられない母は道真が玩具として梅の核に穴を開けて紐で通しておいたものを思い出の地に植え、「我志通じなば芽を出せよ」と念じたところ、植えた核から芽を生じズンズンと大きくなって実を付けたが、その梅の実の核には不思議と穴があった。後年、道真が九州へ左遷されたとき、姿をやつして出雲へ入り母を訪れた。離別に際して、梅の木で自像を作り、自画像を添えて形見として残していった。その木造がご神体となり、鼻繰梅は御神木となって祀られている。
- 回答プロセス
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インターネットで検索したところ、松江市宍道町の菅原天満宮のHPがヒットした。
また、レファレンス協同データベース(当館入力分)「松江市宍道町上来待にある菅原天神の「はなぐりうめ(鼻繰り梅)」についてわかる資料がないか」(https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000132392)で過去に調査していたことがわかったので、関連資料もあわせて紹介した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 神社.神職 (175 8版)
- 中国地方 (217 8版)
- 伝説.民話[昔話] (388 8版)
- 参考資料
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【資料1】宍道町史編纂委員会 編 , 宍道町 (島根県). 宍道町史 通史編 上巻. 宍道町, 2001.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007588840-00 (当館請求記号 郷貸出217.32/シ/1) -
【資料2】島根県神社庁 編 , 島根県神社庁. 神國島根 復刻版. 島根県神社庁, 1996.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I069419175-00 (当館請求記号 郷貸出175/シ96) -
【資料3】島根県教育会 編 , 島根県教育会. 島根県口碑伝説集. 歴史図書社, 1979.
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001423440-00 (当館請求記号 093.8/2※貸出禁止資料)
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【資料1】宍道町史編纂委員会 編 , 宍道町 (島根県). 宍道町史 通史編 上巻. 宍道町, 2001.
- キーワード
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- 菅原道真
- 梅
- 菅原天満宮
- 松江市宍道町
- 菅原是善
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000231207