レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年12月13日
- 登録日時
- 2012/12/13 15:34
- 更新日時
- 2013/05/14 13:15
- 管理番号
- 埼久-2012-128
- 質問
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解決
宇野信夫に関する資料に熊谷に住んでいた当時の記述や、父親の染物屋についての記述があるか。
- 回答
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父・宇野弥一郎が泉町で絞り染めの商売をしていたこと、熊谷市内で町なかへ引越しをしていることが記載されている資料があった。
住居や近所に関しての記載があるもの
『味のある言葉』(宇野信夫著 講談社 1986)p189「私は少年時代を、埼玉県の熊谷という町ですごした。その頃の熊谷はまだ小さな町だった。」 p201「白髭橋に近い橋場の家は、熊谷に工場をもつ父の出張所であった。」「父の稼業は絞り染めであったが、その片手間に子ども洋服の仕事を始めた。」
『むかしの空の美しく』(宇野信夫著 青蛙社 1967) p254「私は埼玉県の熊谷中学に四年まで居たが、(後略)」
熊谷に関しての記載があるもの
『うつくしい言葉』(宇野信夫著 講談社 1983)p174「私は小学校時代から中学校時代を、熊谷の町で過ごした。」「私の家は町の中程にあって、父親は絞り染を業として、取引先は東京で、熊谷の家は言わば製造工業であった。店の間口は何間だったか、裏には広い干場があった。」
『しゃれた言葉』(宇野信夫著 講談社 1981) p182「父の稼業のランプ屋の小売りがうまく行かず、一家は本庄を引払って、熊谷へ引越すことになった。」「ランプ屋を廃業した父は、熊谷で染物を始め、どうにかそれが商売になった頃、私も小学校へ上がる年になった。」 p187「熊谷の家の筋向こうに駄菓子屋があった。入口の柱に(中略)「人力車夫、小久保四七吉」と書いてあった。」
『小さな声で言葉とがめ』(宇野信夫著 早川書房 1987) p72「私が小学校のとき、学校へかよう道は、家のそばの路地をぬけて中仙道へ出て、それを横切って高城神社の大鳥居をくぐり、境内をぬけたところに小学校があった。」 p174「私は小学校時代から中学校時代を、熊谷の町で過ごした。」「私の家は町の中程にあって、父親は絞り染を業として、取引先は東京で、熊谷の家は言わば製造工業であった。」
『心にのこるいろんなはなし』(宇野信夫著 講談社 1988) p101「さて作者の宇野信夫氏だが、(中略)武州熊谷は泉町に宇野弥一郎といふ一人物がゐるが、ご商売は絞り染めの専門工場である。(後略)」 p214「私は中学の四年までを埼玉県の熊谷ですごした。」
『むかし恋しい』(宇野信夫著 河出書房新社 1986)p19「本庄の店をたたんで熊谷へ引越した父のはじめたのは、染物であった。田圃を前にした住居で、 裏の空地に緋染めの生地がよく乾かしてあった。」「染物商売がはかどったのか、田圃の前の住居は僅かの間で、今度は町なかへ引越した。広い間口の 店がまえで、店の前に川が流れていて橋の向こうに芝居小屋-熊盛座という小屋が見えて(後略)」
- 回答プロセス
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自館目録を全項目〈宇野信夫〉で検索すると75件あり。
NDC分類914.6の資料12点を調査した。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本文学 (910 9版)
- 貴重書.郷土資料.その他の特別コレクション (090 9版)
- 参考資料
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- 『味のある言葉』 (宇野信夫著 講談社 1986)
- 『むかしの空の美しく』(宇野信夫著 青蛙社 1967)
- 『うつくしい言葉』 (宇野信夫著 講談社 1983)
- 『しゃれた言葉』(宇野信夫著 講談社 1981)
- 『小さな声で言葉とがめ』 (宇野信夫著 早川書房 1987)
- 『心にのこるいろんなはなし』(宇野信夫著 講談社 1988)
- 『むかし恋しい』(宇野信夫著 河出書房新社 1986)
- キーワード
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- 宇野 信夫(ウノ ノブオ)
- 熊谷市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000115733