レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022年09月06日
- 登録日時
- 2023/07/17 17:47
- 更新日時
- 2023/07/17 17:47
- 管理番号
- 0000002509
- 質問
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解決
古文書の一節の中で罫線(=)の箇所がわかりません。罫線(=)の合併前後の住所、峠の名称などを調べてほしい。「和形村」と「わかた村」は同一地名かと思います。
『竹田へ一里それより和形(「和形」に=線)へ二里、竹田村と大和村(「大和村」に=線)の境に峠(「峠」に=線)あり、此所越前と加賀の境也 わかた村(「わかた村」に=線)より山中へ一里余・それより山城へ一里余り』
- 回答
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下記資料より、「和形」「わかた村」は「我谷村」、「大和村」は「大内村」、「峠」は「大内峠」だと思われます。
「我谷村」は、昭和34年着工の我谷ダム建設により水没しました。
「大内村」は、現在は石川県加賀市山中温泉片谷町大内です。
「我谷村」「大内村」ともに、石川県管内の旧自治体名です。
詳しくは、下記地名辞典を参照ください。
『角川日本地名大辞典 17 石川県』(角川書店,1981)
・・・p172「おおうち 大内」、p963「わがたに 我谷」立項あり。「我谷」は「わがた」とも呼ばれていた旨記載あり。
『日本歴史地名大系 第17巻 石川県の地名』(平凡社,1991)
・・・p71「我谷村」「大内村」立項あり。
『角川日本地名大辞典 18 福井県』(角川書店,1989)
・・・p720「たけだむら 竹田村」、p1156「山竹田村 やまたけだむら」立項あり。
『日本歴史地名大系 第18巻 福井県の地名』(平凡社,1981)
・・・p202-203「山竹田村」項に、「当村は(中略)東北は大内峠越で加賀国に達し」と記載あり。山竹田村は、江戸期~明治22年の村名であり、明治22年に他3か村と合併して竹田村となりました。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本 (291 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000336040