①『日本近現代美術史事典』
p.484-485「ビエンナーレ/トリエンナーレ」に「1895年に始まったこの世界最古の国際展は、戦争などによる何度かの中断を余儀なくされたとは言え、現在に至るまでほぼ隔年のペースで開催されており、また国別参加形式と授賞制度を維持していることから、しばしば万博やオリンピックに例えられる。(中略)この形式の場合、参加各国はまずコミッショナー(展示責任者)を選出し、次いでコミッショナーが自らの企画に即して作家(1名の場合も複数の場合もあり)を選出するというプロセスで準備が進められる。」とある。また、「日本の初参加は戦後間もない1952年の第26回のこと。また56年には常設会場となる吉阪隆正設計の日本館パヴィリオンが竣工し、以後一度も途切れることなく参加している。」と記載されている。
②『ヴェネツィアと日本』
概要については「序」のp.4に「一般に、ヴェネツィア・ビエンナーレの通称で知られるヴェネツィア市国際美術展覧会(中略)は、国王ウンベルト一世の成婚二五周年を記念して一八九五年に創設された国際美術展覧会である。」とまとめられており、「一八九七年に開催された第二回ヴェネツィア・ビエンナーレは、イタリアで初めて日本美術を紹介することになる」とも記載がある。また、p.151-264「第3部 第二回ヴェネツィア・ビエンナーレへの日本美術の参加とその後」では「日本美術協会のビエンナーレ参加過程」を取り上げており、特にp.153-177第7章では一八九五年第一回ビエンナーレから、第二回ビエンナーレに日本が参加するまでの日本とイタリアのやり取りについて書かれている。
③『12人の挑戦』
p.16-24「体験としてのヴェネチア・ビエンナーレ」のp.16-18、p.26-32「ヴェネチア・ビエンナーレと12人を巡って」のp.26-27にこの展覧会の開催の経緯、特徴、展示方法などについて記載されている。p.8-15「ヴェネチア・ビエンナーレ日本参加史から」には1897年の第2回展から2001年の第49回展までの日本の出品・参加の様子が書かれている。P.153-205「日本公式参加の歩み」には日本が公式参加するまでの経緯と公式参加となった1952年(第26回)から2001年(第49回)までの展覧会の概要について書かれている。
④『海を渡る日本現代美術』
p.21-60第1章三「ヴェネツィア・ビエンナーレへの参加―「国際的」日本人作家創造のプロセス」では「一九五二年から一九六八年の間に開催されたヴェネツィア・ビエンナーレへの日本の参加」について書かれており、さらに「この芸術的にも商業的にも当時最も影響力のあった展覧会で、日本の現代美術がどのように受け止められ、また日本の美術専門家たちはどのように国際美術界の評価に反応したか」についても考察している。