レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2010/11/03
- 登録日時
- 2011/03/22 02:13
- 更新日時
- 2011/06/06 11:17
- 管理番号
- 埼熊-2010-091
- 質問
-
未解決
小野澤寛海老師に関して知りたい。
インターネット情報から昭和9年静岡県で生まれた臨済宗の僧であることなどがわかっている。
- 回答
-
質問館で調査した以上の情報は見つからなかった。インターネット情報から大徳寺(聚光院)を照会する。
- 回答プロセス
-
1 人物情報データベーからの調査
《WHOPLUS》を〈小野澤寛海〉で検索するが、該当なし。
2 質問館情報による書誌調査
質問館調査事項にあった雑誌「茶の文化」は自館目録ヒットせず。
《NDL-OPAC(雑索)》該当記事の著者情報からヨミは〈オノザワ カンカイ〉とわかる。
3 静岡県の人物から調査
『角川姓氏歴史人物大辞典 22 静岡県姓氏家系大辞典』(角川書店 1995)
第3章「静岡県の人物」に質問の人物名なし。
『静岡大百科事典』(静岡新聞社 1978)質問の人物名なし。
4 臨済宗の情報から調査
自館目録を全項目検索〈臨済宗〉の結果から
『臨済宗史』(玉村竹二著 春秋社 1991) 索引に質問の人物なし。
5 インターネット情報による調査
(1) 《リサーチナビ》(国立国会図書館)を〈小野澤寛海〉で検索した結果から
『茶席の禅語大辞典』( 淡交社 2002)
p721「禅僧・詩人略伝 日本の禅僧(現代の禅僧)」に〈オノザワカンカイ(カンカイソウコウ)〉の項あり。質問館の調査済みインターネット情報の内容を超えるものではない。
「小野澤寛海(寛海宗弘 一九三四~)臨済僧。昭和九年静岡県生まれ。妙心僧堂に掛塔、のち三一歳で大徳寺塔頭聚光院住職に就任。」
(2)茶道具商㈲越中屋:商品サイト掲載の略歴。質問館の情報と内容は同じ。
(http://www2.ocn.ne.jp/~etchuya/chashaku_kankai_murasame.html 2010/11/03最終確認)
小野澤寛海老師略歴
昭和9年(1934)、静岡県生まれ。臨済僧。昭和26年(1951)、廣徳寺の福富以清に就いて得度。その後、妙心僧堂に掛塔。昭和40年(1965)、大徳寺塔頭聚光院住職に就任。昭和61年(1986)、本山内局庶務部長。平成7年(1995)、宗務総長に就任。千利休四百年遠諱法要を聚光院住職として務める。聚光院伊東別院に住す。
(3)その他のインターネット情報(いずれも最終確認日は2010/11/03)
《Google》では以下のものが検索される。
(http://www.tsubakiclub.com/contents/Back-Number/BN1kai/ono-S.html)
(http://www.tsubakiclub.com/contents/Back-Number/BN2kai/kakemono.html)
淡交社のウェブサイトには、「小野澤寛海和尚」と記載された記事が散見される。
(カルチャー教室の講師名等)
(http://www.tankosha.co.jp/culture/tokyo/tokubetsu/08.html)
(http://www.tankosha.co.jp/culture/tokyo/tokubetsu/06.html)
6 淡交社の雑誌の調査
雑誌『なごみ:茶のある暮らし』(淡交社刊)。《NDL-OPAC(雑索)》《MAGAZINEPLUS》の収録対象誌でない)の2009~2010年10月の目次を見たが、該当する記事は見つからなかった。以下のウェブサイトで2001年以降の内容が確認できる。
(http://www.tankosha.co.jp/cgi-bin/maglist.cgi 2010/11/03最終確認)
7 雑誌「茶の文化 4号」対談者の熊倉功夫の著書については、多数検索されるが未調査。
8 人名事典の調査(いずれも記述なし)
『日本紳士録 80版』(交詢社出版局編 ぎょうせい 2007)
『現代日本人名録 2002 1(あ~かと)』(日外アソシエーツ 2002)
『追悼記事索引 1991-2005』(紀田順一郎監修 日外アソシエーツ 2006)
9 大徳寺について
『大徳寺聚光院』 (聚光院編 淡交社 2005) 記述なし。
10 茶道の資料の調査(いずれも記述なし)
『茶道名言辞典』(桑田忠親編 東京堂出版 1981)
『茶道人名辞典』(桑田忠親著 東京堂出版 1982)
『茶道大辞典』(筒井紘一編 淡交社 2010)
『茶道大辞典 別巻 茶道備要・索引』(筒井紘一編 淡交社 2010)
『茶道人物辞典』(原田伴彦編 柏書房 1991)
『茶席の禅語句集』(朝山一玄著 淡交社 2003)
『茶席の禅語大辞典』(有馬頼底監修 淡交社 2002)
『茶人物語 (茶の湯ライブラリー 3)』(読売新聞社編 淡交社 1968)
『(よくわかる)茶席の禅語』(有馬頼底著 主婦の友社 1990)
『茶の湯連翹抄』(戸田勝久著 思文閣出版 2005)
『昭和の茶道:忘れ得ぬ人』(臼井史朗著 淡交社 1993)
『茶人の逸話』(筒井紘一著 淡交社 1984)
『茶人の系譜:利休から天心まで(朝日カルチャーブックス 25)』(村井康彦著 大阪書籍 1983)
『茶人の旅:江戸期の茶湯系譜』(野村瑞典著 芸艸堂 1984)
『茶道の逸話』(桑田忠親著 東京堂出版 1990)
『茶人と茶の湯の研究』(熊倉功夫編 思文閣出版 2003)
『茶の湯人物志 (角川選書113)』(村井康彦著 角川書店 1980)
『近世名茶会物語』(高原富保著 毎日新聞社 1985)
『近代数寄者の名茶会三十選』(熊倉功夫編 淡交社 2004)
『近代茶人たちの茶会:数奇風流を楽しんだ巨人たち』(鈴木皓詞著 淡交社 2000)
『本朝茶人伝 (中公文庫)』(桑田忠親著 中央公論社 1980)
- 事前調査事項
-
インターネットの情報で次の事項を確認(サイト名等は不明)。
昭和9年 静岡県生まれ。臨済僧。
昭和26年 廣徳寺の福富以清に就いて得度。その後、妙心僧堂に掛塔。
昭和40年 大徳寺塔頭聚院住職に就任。
昭和61年 本山内局庶務部長
平成7年 宗務総長に就任。千利休四百年遠法要を聚光院住職として務める。聚光院東別院に住す。
《NDL-OPAC》で書誌検索し、雑誌「茶の文化」4号がヒットした。「禅と茶の世界」というテーマで対談が掲載されているようである。
《聞蔵Ⅱビジュアル》より以下の情報を得る。
・3千家の1つ武者小路千家で家元襲名式がありそこに大徳寺塔頭聚光院住職としてお経をあげている。(『朝日新聞 1989年12月20日 朝刊』)
・臨済宗大徳寺派の宗務総長に就任。それまでは、滋賀県東浅井郡浅井町小室、真悟庵住職であった。(『朝日新聞 1995年4月2日 朝刊』)
・高僧墨蹟展に出品。会場:米子市の米子しんまち天満屋4階美術画廊(『朝日新聞 1997年3月14日 朝刊』)
「日本仏教人名辞典」には天台宗の僧として寛海が掲載されていた。ただし、1835年没なので、この人物は別人ではないかと思われる。
調査済み資料 以下の図書は記載なし。
「現代仏教家人名辞典」
「日本仏教人名辞典」
「人物レファレンス事典 昭和戦後平成」
「東洋仏教人名事典」
「静岡大百科事典」
「号・別名辞典」
「茶道人物辞典」
- NDC
-
- 個人伝記 (289 9版)
- 各宗 (188 9版)
- 茶道 (791 9版)
- 参考資料
- キーワード
-
- 小野澤 寛海(オノザワ カンカイ)
- 茶道
- 臨済宗
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000082482