レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年02月03日
- 登録日時
- 2012/02/03 12:03
- 更新日時
- 2013/09/05 17:01
- 管理番号
- 97-B-33
- 質問
-
解決
今治市桜井地方の伝統工芸、桜井漆器について知りたい。
- 回答
-
・桜井漆器の歴史については、【資料1】に次のように記載されている。
発祥は、文化文政のころ(1804~1831)、漆器の産地紀州の黒江(現和歌山県、海南市)から伝わったといわれている。桜井の行商人(みの、かさ販売)が当地を訪れた際、勧められて漆器の行商を始めた。このことから、桜井でも漆器を造りたいと考え、西条の蒔絵師を当地に呼び製造に着手した。以後、行商人の熱心な努力が独特の割賦販売方式を生み、隆盛をきわめ、椀船と称された和船は関西一面に往来するようになった。また、最盛期の大正年間にはこれに従事する人の数は400名を超えていた。桜井漆器には、独特の深い味わいがあり、重箱の最も破損しやすい四隅の接着部分には櫛指法が考案され品質の良いのを誇っていた。現在は、職人が30人足らずに減少したが、昭和55年に県の伝統的特産品に指定され、今後の振興発展が期待されている。
・漆器の製造工程は、【資料2】によると次のとおりである。
①素地作り―角物は指物師が檜材で、丸物はろくろ師がトチ・ブナ・モウカ桜等で素地を作る。
②下地塗り―下地塗師が砥の粉、ジズミ、ベンガラ、柿渋、生漆で下地を塗る。
③水研ぎをして塗師に回す―塗師は中塗りをしてそれをよく乾かした後朴炭で炭とぎをする。
④上塗漆を使って上塗師が仕上げる―これで無地漆器は完成。
多くの漆器は、これに加工師、すなわち蒔絵師・沈金師が漆で溶いた絵の具、金粉・銀粉、金箔・銀箔を用いて蒔絵を施して完成、また沈金師が沈金を入れてこれまた完成ということになる。また、前述の櫛指法というのは、素地作りの際、重箱の隅を直角に接合する時両方の板の端に櫛の歯のような凸凹をつくってこれをかみ合わせる方法である。その後櫛指機械が考案され、生産能率は一段と向上した。
・椀船の運航については【資料3】に、次のように記載されている。
幕末に水軍の末裔達は対岸の漆器産地桜井の人達と組み“椀船”を操るようになる。伊予桜井では製造される漆器の量が増し、産地として隆盛を迎えるが、椀や膳のたぐいはかさが高くて、販路を拡大するにはどうしても大きな船の力を借りて大量の漆器類を運ぶ必要があった。彼らの操る船は、椀、膳等の漆器を満載して九州、瀬戸内、日本海方面に船を出し商いをした。
・漆器販売の方法は、【資料4】に次のように記載されている。
漆器は外見で価格評価が難しく、売り手、買い手のなじみが信用売り、掛け売りに発展し、更に月掛け売りとなって今日の割賦販売の起源となった。桜井漆器はいわば日本の月賦販売業の母胎であり、今治市桜井地方はその発祥の地といえる。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 産業 (600 9版)
- 漆工芸 (752 9版)
- 参考資料
-
- 【資料1】 『えひめ文化百選』 愛媛県教育委員会事務局文化課/編集 愛媛県教育委員会事務局文化課 1981年 <請求記号:K382 /13 >
- 【資料2】 『伊予桜井漆器の研究』 近藤 福太郎/著 ふるさとをしらべる会 1986年 <請求記号:K752 /2>
- 【資料3】 『漆芸の旅』 冬木偉沙夫/著 芸艸堂/発行 1986年 (愛媛県立図書館所蔵なし)
- 【資料4】 『愛媛県百科大事典 上 あ~し』 愛媛新聞社愛媛県百科大事典編集委員室/編集 愛媛新聞社 1985年 <請求記号:R /K290 /63 /1>
- キーワード
-
- 伊予水軍 いよすいぐん
- 割賦販売 かっぷはんばい
- 櫛指法 くしざしほう
- 桜井漆器 さくらいしっき
- 漆器 (今治市) しっき(いまばりし)
- 今治市-工芸 いまばりし こうげい
- 椀船 わんぶね
- 今治市-産業 いまばりし さんぎょう
- 伝統工芸-愛媛県 でんとうこうげい えひめけん
- 照会先
- 寄与者
-
- 今治市立図書館
- 備考
- 事例出典『郷土資料に関する調査・相談事例集』 愛媛県図書館協会・愛媛県立図書館/編集 愛媛県立図書館 1997年
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000101032