レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年10月24日
- 登録日時
- 2023/05/23 17:18
- 更新日時
- 2024/01/11 14:50
- 管理番号
- 横浜市中央2701
- 質問
-
解決
横浜の絹織物産業について、「横浜スカーフ」の歴史がわかる資料はありますか。
また、スカーフの生産工程における水洗いが手作業から機械化された時期と横浜市のスカーフ生産工場(捺染工場)が市外に移転していった理由についても知りたい。
- 回答
-
「横浜スカーフ」とは、100余年の歴史をもつ横浜の著名な地場産業であり、ひろく世界的に知られた
産業です。横浜の開港後、生糸・絹織物の輸出が盛んになり、羽二重を加工した「絹ハンカチ」が生ま
れ、それが「横浜スカーフ」に発展しました。
(参考:『横浜スカーフ 木版更紗から現代まで 特別展』 横浜市勤労福祉財団/編
横浜市勤労福祉財団 1989.10)
1 「横浜スカーフ」の歴史がわかる資料
(1)『横浜スカーフの歴史 地域経済シリーズ』 神奈川経済研究所/編 神奈川経済研究所 1981.3
横浜スカーフの歴史や素材・サイズ・生産工程の歴史、輸出検査制度の変遷が記載されています。
(2)『横浜スカーフの概要 地域経済シリーズ』 神奈川経済研究所/編 神奈川経済研究所 1981.3
p.100~110 「資料 1.歴史」
輸出スカーフと内需スカーフ、業界組織の歴史が記載されています。
(3)『横浜捺染-120年のあゆみ』 日本輸出スカーフ捺染工業組合 1995.12
生産過程で使用される道具の移り変わりを年代順にたどります。当時の写真等の資料も掲載
されています。
(4)『横浜スカーフ 木版更紗から現代まで 特別展』 横浜市勤労福祉財団/編
横浜市勤労福祉財団 1989.10
横浜スカーフの歴史や業界、制作技術が記載されています。横浜スカーフに関する年表や参考文献も
掲載されています。
(5) 『街づくりの歴史物語 こうなんの歴史アルバム2』 港南歴史協議会/編
港南歴史協議会 2012.7
p.102 「よこはまスカーフの故郷」
2 水洗いが手作業から機械化された時期について
(1)『横浜捺染-120年のあゆみ』 日本輸出スカーフ捺染工業組合 1995.12
p.52
神奈川県織染工業協同組合が1949年(昭和24)年に旭区鶴ケ峰に水洗工場を建設し、
「横浜輸出スカーフ施設協同組合」が設立された1954年(昭和29)年以後に水洗作業が
開始した、と記載があります。
(2)『横浜スカーフの歴史 地域経済シリーズ』 神奈川経済研究所/編
神奈川経済研究所 1981.3
p.65 「(2)水洗の機械化」
「昭和29年に横浜輸出スカーフ施設協働組合が設立されて水洗機械の一号機が
導入され、水洗の機械化という画期的な事業の端緒が開かれた。」
(3) 「横浜スカーフ産地の発展と変容」小林孝一/著 (「経済と貿易」134号
横浜市立大学経済研究所 1987.3)
p.85 「 (2) 機械化の進展」
昭和29年に「横浜輸出スカーフ施設共同組合」が設立され、共同機械水洗が
実施された、と記載があります。また、この共同施設の操業は昭和30年に開始
した、と記載があります。
(4) 『横浜輸出絹業史 開港百年記念』 横浜輸出絹業史刊行会 1958.3
p.330~331 「繊維界の不況と組合の活動」
「(前略)昭和二十四年来の共同施設を合併し、神奈川県、横浜市からそれぞれ
助成をあおぎ、総工費三千万円で保土ケ谷区鶴ケ峰に工場施設を行い、昭和三十一年四月から
操業をはじめた(後略)」
3 捺染工場が市外に移転していった理由について
(1)『横浜市史 Ⅱ 第3巻(上)』 横浜市総務局市史編集室/編 横浜市 2002.3
p.641
「五五年頃、約二〇業者を数えた水洗業者はこの施設組合の発展に加え、河川の水量減少、
水質悪化によって次第に横浜市内から厚木・平塚などに移転していった。」
(2)横浜市各区史
ア『港南の歴史 区制10周年記念』港南の歴史発刊実行委員会/編
港南の歴史発刊実行委員会 1979.10
p.300~303 「捺染業」
昭和44年から昭和55年の港南区工場数等の減少理由について、相模川支流へ
移動した事を挙げています。
イ『保土ケ谷区史』 保土ケ谷区史編集部会/編
横浜市保土ケ谷区制70周年記念事業実行委員会 1997.10
p.446~447 「第3節 昭和終章 保土ケ谷と捺染業」
時期の記載はありませんが、保土ケ谷区や南区などの工場が移転した理由について、
急激な円高を挙げています。
(3)その他
ア「横浜スカーフ産地の発展と変容」小林孝一/著
(「経済と貿易」134号 横浜市立大学経済研究所 1987.3)
p.87~88 「 (3) 捺染業の地方進出」
昭和40年代後半に、市内工場が移転した理由ついて、労働力不足や公害問題等を
挙げています。
イ「横浜スカーフ産業の生産・流通構造」小林孝一/著
(「経済と貿易」145号 横浜市立大学経済研究所 1982.3)
p.76~78 「(2)捺染業の立地移動と規模拡大」
1960年代から1980年代にかけての市内工場が移転した理由について、東北地方の
安い用地や豊富な労働力の確保等を挙げています。
確認資料
『南区の歴史』 南区の歴史発刊実行委員会 1976
『藤沢藤一の歩んだ道 横浜スカーフとともに』 日本繊維新聞社/編 藤沢 1987.10
『かながわの川 上』 神奈川県高校地理部会/編 神奈川新聞社 1989.7
『横浜スカーフ業界の系譜 組織と人脈』 日本輸出スカーフ等製造工業組合 1989
『旭区郷土史』 旭区郷土史刊行委員会/編 旭区郷土史刊行委員会 1980.4
『南・ひと・街・こころ 南の風はあったかい』 南区制50周年記念誌編集委員会/編 南区制50周年記念誌刊行委員会1994.06
『地域資源(横浜スカーフ)の活用による産業活性化事業調査報告書』横浜市経済局 2014.3
「横浜地方の輸出用捺染スカーフ産業に関する研究」篠崎十朔/著(「学芸地理(14)」東京学芸大学地理学会 1960.03 p.17~20)
https://core.ac.uk/download/pdf/15924549.pdf (令和5年2月7日時点)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 関東地方 (213 8版)
- 繊維工学 (586 8版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000333478