レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2023/02/14 12:05
- 更新日時
- 2023/02/14 15:28
- 管理番号
- 阿南市-2023-8
- 質問
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解決
天羽生岐城について書かれた資料を見たい。また、岐城が開いた私塾・相観塾についても知りたい。
- 回答
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天羽生家は代々徳島藩家老の賀嶋氏の臣で、岐城は文政八年(1825)に生まれる。幼くして那賀郡赤池村(現阿南市那賀川町)の医師で儒学者の高橋赤水に学び、後に大坂の藤沢東畡に古学を学ぶ。帰郷して私塾・相観塾を領家村(現阿南市)に開いた。郷学校の講師、小学校教員、教部省訓導などを経て、明治二十七年(1894)病気により死去した。明治三十二年(1899)領家町の天満神社に門弟たちが顕彰碑を建立した。
相観塾は、嘉永二年(1849)から明治五年(1872)の学制発布まで続き、生徒数は男20人・女5人、教師は2人であった。藩主蜂須賀斉裕が弘化三年(1846)に富岡に創設した郷学校・暇修館の助教としての役割を担い、和学や漢学を教科の主とした。
- 回答プロセス
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➀『徳島県歴史人物鑑 別冊』より、岐城の出自や相観塾を開いたこと等がわかる。
➁現在の阿南市出身ということから『阿南市史 第二巻 近世編』を確認。「第五章 学問と教育」の「阿南市域における儒学と儒者」に天羽生岐城が2p程度で取り上げられている。『ふるさと阿南』には顕彰碑、墓地の場所などが詳しい。
➂相観塾については、同じく『阿南市史 第二巻 近世編』第五章に「那賀郡の私塾」として二つの私塾が取り上げられている内の一つ。学科や所在地、教師・生徒数、年代、塾主名が載っている。
④[教育機関][郷土資料]の資料は『徳島県の教育史』に「幕末維新期の教育」、『教育那賀』に「藩政時代の教育」として私塾・寺子屋数等の記載がある。
- 事前調査事項
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阿南市領家町の天満神社境内にある天羽生岐城翁顕彰碑を見てきた。
- NDC
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- 個人伝記 (289)
- 教育 (370)
- 参考資料
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- 『徳島県歴史人物鑑 別冊』徳島新聞社 1994年
- 『阿南市史 第二巻 近世編』阿南市 1995年
- 『ふるさと阿南』阿南市女性ボランティア文化財愛護コース編 阿南市委員会 1999年
- 『徳島県の教育史』三好昭一郎編 思文閣出版 1983年
- 『教育那賀-那賀郡教育会七十周年記念号-第六集』那賀郡教育会 1959年
- キーワード
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- 天羽生岐城
- 相観塾
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査 所蔵調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000328954