レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023年07月05日
- 登録日時
- 2023/12/10 14:39
- 更新日時
- 2024/02/05 14:45
- 管理番号
- 中央-1-0021689
- 質問
-
未解決
日本では1907年(明治40年)に「癩予防に関する件」という法律を制定し、「放浪癩」を療養所に入所させ、一般社会から隔離するという施策を採ったが、中世から近世にかけてのさいたま市域のハンセン病患者の実態が不明なため、実態を知るのに役立つ図書を知りたい。
- 回答
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中世から近世にかけてのさいたま市域のハンセン病患者の実態が分かる資料は見つからなかったが、回答プロセスの〇印をつけた、参考になりそうな資料を紹介した。
- 回答プロセス
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●中世から近世ころの日本でのハンセン病の歴史をインターネットで検索
・厚生労働省HPより『ハンセン病の悲しい歴史』中世辺りから差別がはじまったことについて簡潔にまとめられている。
(https://www.mhlw.go.jp/houdou/2003/01/dl/h0131-5i_2.pdf 2023.12.10最終確認)
●1907年の法律制定時代である近代日本のハンセン病対策について書かれている資料を所蔵資料から検索
○『ハンセン病問題に関する検証会議最終報告書 上』日弁連法務研究財団ハンセン病問題に関する検証会議/編 明石書店 2007年
p25-72 近世の「癩」病観とその形成過程(さいたま市についての言及はなし)
〇『パンデミック-<病>の文化史-』赤阪俊一/著 米村泰明/著 尾崎恭一/著 西山智則/著 人間と歴史社 2014年
p201-270「近代日本のハンセン病対策」
〇『語り継がれた偏見と差別-歴史のなかのハンセン病-』福西征子/著 昭和堂 2017年
さいたま市ではないが中世~近代までのハンセン病について記述されている。
×『ハンセン病療養所と自治の歴史』松岡弘之/著 みすず書房 2020年
×『ハンセン病の社会史-日本「近代」の解体のために-』田中等/著 彩流社 2017年
×『ハンセン病者の軌跡』小林慧子/著 同成社 2011年
3冊とも近代以降の内容が中心であり、本件にそぐわない。
○『近代庶民生活誌 20』南博/責任編集 三一書房 1995年
p517~ さいたま市ではないが中近世のハンセン病に関する記述がある。
○『中世民衆の生活文化 下』横井清/著 講談社 2008年
p131-191「第九 中世民衆史における『癩者』と『不具』の問題」さいたま市ではないが中世のハンセン病に関する記述がある。
○『日本らい史』山本俊一/著 東京大学出版会 1993年
p5-15「2 中世」 さいたま市ではないが中世のハンセン病に関する記述がある。
●地域の所蔵資料から検索
○『埼玉の公衆衛生史 第三篇』荻野淑郎/編 埼玉の公衆衛生史編集委員会 1987年
p150-151 「らい予防対策」 昭和47年ごろの埼玉県の様子が分かる。
×『衛生行政の現状と展望-県民の健康を守るために-』埼玉県衛生部 1977
×『埼玉県衛生研究所報』埼玉県衛生研究所/編 埼玉県衛生研究所 1962
2冊ともハンセン病についての詳しい記載がなかった
○『大宮市史 第5巻 民俗・文化財編』大宮市役所 1969年
p301「なお、昔指扇地区には、ならず者や癩病やみ等人に嫌われる者が死んだ場合、鍋をかぶせて埋める風習があったといわれるが、この例は三橋地区でもみられる。」
p711,717 大宮の方言と訛言として「癩患者」は「かってえぼー」「なーりんぼ」と掲載
●地域の部落関係の資料を見てみる
×『語り伝える地区の生活 さいたま市の被差別部落』さいたま市教育委員会生涯学習部生涯学習振興課人権教育推進室/編 さいたま市教育委員会 2009年
×『近世における被差別部落の実態 埼玉県の被差別部落の一事例』野口三男/著 [杉戸町(埼玉県)] [野口三男] 1979年
●インターネット情報を検索(すべて2023.12.12最終確認)
〇宮前千雅子「前近代における癩者の存在形態について(上)」『部落解放研究 : 部落解放・人権研究所紀要』No.166 p76-85 2005.10
https://blhrri.org/old/info/book_guide/kiyou/ronbun/kiyou_0166-06.pdf
古代・中世の癩者たちについて概説あり。
〇宮前千雅子「前近代における癩者の存在形態について(下)」『部落解放研究 : 部落解放・人権研究所紀要』No.167 p71-84 2005.12
https://blhrri.org/old/info/book_guide/kiyou/ronbun/kiyou_0167-05.pdf
主に東北と九州の藩について、癩者の実態をまとめている。埼玉はなし。
〇藤野豊「ハンセン病問題と部落問題の接点 「特殊部落調附癩村調」の意味するもの」『部落解放研究 : 部落解放・人権研究所紀要』No.164 p43-58 2005.6
https://blhrri.org/old/info/book_guide/kiyou/ronbun/kiyou_0164-05.pdf
p48(PDF6ページ目)の「表2 「特殊部落調附癩村調」の回答に付されたコメント」で、埼玉県は「癩村ト称スヘキモノ無之候」というコメントをしている。
●国立国会図書館デジタルコレクションで“癩予防に関する件”と“埼玉”、“癩予防協会”と“埼玉”で検索(すべて2023.12.12最終確認)
〇『癩患家の指導 昭和12年度』癩予防協会/編 癩予防協会 1938年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1232084
73~76コマ目 埼玉県の患者に関する記述あり。
〇『[栗生楽泉園]年報 昭和13年』栗生楽泉園/編 栗生楽泉園 1936~1939年
https://dl.ndl.go.jp/pid/1046983
27コマ目 患者の本籍地ごとの人数の表が掲載されている。園内の生活の様子がわかる。
- 事前調査事項
- NDC
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- 衛生学.公衆衛生.予防医学 (498)
- 風俗史.民俗誌.民族誌 (382)
- 参考資料
- キーワード
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- ハンセン病
- 癩予防
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000343252