レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/10/19
- 登録日時
- 2023/12/13 00:30
- 更新日時
- 2023/12/13 00:30
- 提供館
- 宮城県図書館 (2110032)
- 管理番号
- MYG-REF-230252
- 質問
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解決
7代仙台藩主である伊達重村と正室(惇姫)との婚礼の経緯について書かれた資料を探しています。
- 回答
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下記の資料を御紹介します。※【 】内は当館請求記号です。
資料1 國分豐章・森廣胖・作並清亮編『六代治家記録』91卷, 寫本, 1874年, 22册, 27.8cm(『伊達文庫目録』735, 【KD209/ロ1】)
第3冊「巻之四 徹山公四」のうち、宝暦九年閏七月十三日条に「中納言廣幡輔忠卿ノ妹淳姫君ヲ近衛公ノ猶子ト為シ公ヘ嫁スルヲ約ス」とあり、以後第4冊「巻之五 徹山公五」のうち、宝暦十年二月二十一日条の婚礼まで、婚礼に関する記述が散見されます。
上記資料は当館デジタルアーカイブ「叡智の杜web」で画像を公開しています。該当URLは下記のとおりです。
https://eichi.library.pref.miyagi.jp/da/detail?data_id=040-50735-0 (最終アクセス日 : 2023/10/19)
なお、宝暦九年閏七月十三日条は130コマ目、宝暦十年二月二十一日条は143コマ目です。
資料2 三原良吉「観心院夫人の生涯」『振興相互銀行だより』(51), 振興相互銀行, 1967年【PK330/シ】
pp.20-25「(一)淳姫の嫁入れ行列」の項があり、入輿の際の様子について物語的に記述されています。
(2)また、観心院に関する記述が見られる資料として下記がありますので参考までにお知らせします。
資料3 仙台市編『仙台市史』第1巻, 仙台市, 1929年【K225/セ1-2/1】
pp.433-434「第三編 人物傳」-「藩公夫人 側室」-「重村公夫人近衛氏」の項に、事績について簡潔な記載があります。
資料4 仙台市史編さん委員会編『仙台市史』通史編5, 仙台市, 2004年【K225/セ1-13/5】
p.77「第一章 藩政の推移」-「第三節 藩政と「奥方」の役割」-「二 天明年間の奥方改革」-「『御奥方格式』の制定」の項に、「惇姫は公家の権大納言広幡長忠の娘であり、重村が藩主に就任して四年後の一七六〇年(宝暦一〇)二月二一日、重村と婚礼の儀式を挙げ、江戸上屋敷の女主人となった。婚礼から二年後の一七六二年(宝暦一二)一二月三日、五摂家の筆頭で公卿第一位の関白近衛内前の養女となっている。」という記載があります。
(3)その他、以下の資料を確認しました。惇姫(観心院)の社会福祉政策等の記述はありましたが、婚礼の?末についての記述はありませんでした。
資料5 菊田定郷著『仙台人名大辞書』仙台人名大辞書刊行会, 1933年【K280/キ1】
資料6 宮城県史編纂委員会編『宮城県史』6, 宮城県史刊行会, 1960年【K201/ミ1/6】
資料7 河北新報社編『宮城県百科事典』河北新報社, 1982年【K031/カ2/タ】
資料8 宮城県史編纂委員会編『宮城県史』29, 宮城県史刊行会, 1986年【K201/ミ1/29】
資料9 『角川日本姓氏歴史人物大辞典』4, 角川書店, 1994年【K288/カ9】
資料10 仙台市史編さん委員会編『仙台市史』通史編4, 仙台市, 2003年【K225/セ1-13/4】
資料11 三原良吉「七代藩主 伊達重村」『振興相互銀行だより』50号, 振興相互銀行, 1967年【PK330/シ】
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 東北地方 (212 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- 伊達重村(ダテ, シゲムラ)
- 惇姫(アツヒメ)
- 観心院(カンシンイン)
- 仙台藩
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000343393