レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/02/07
- 登録日時
- 2023/03/02 00:30
- 更新日時
- 2023/03/16 16:06
- 管理番号
- 13974796
- 質問
-
未解決
明治時代の上知令(明治4年、明治8年)発布で上知される前と上知された後の、寛永寺(東京都)、増上寺(東京都)、建長寺(神奈川県)、日光東照宮(栃木県)、熱田神宮(愛知県)、伊勢神宮(三重県)の各寺社領について、具体的な数字がわかる資料があれば知りたい。
例えば、『京都の歴史 7 (維新の激動)』第3節 廃仏毀釈 pp.524-545(国立国会図書館請求記号:216.2-Ky9955k3)には、京都の寺社領の具体的な数字が挙げられている。
上知令発布前の明治2、3年頃から寺領の上知が始まっていた「高台寺」は、境内9万5,047坪が1万5,515坪に、「東本願寺」は境内地2万8,014坪が、明治4年に上知のうえ町内に払下げられ1万8,600坪に、等の記載がある。
上記の6つの寺社についても同様に、上知令前後の寺社領について、数字で記載のある資料はないか。
- 回答
-
【 】内は国立国会図書館請求記号、請求記号末尾に☆を付した資料は国立国会図書館デジタルコレクションのインターネット公開資料、◎を付した資料は国立国会図書館内/図書館・個人送信資料です。ウェブサイトの最終アクセスは2023年2月4日です。
ご照会の寺社領について、上知令前後の面積を具体的な数字で比較した記載は見当たりませんでした。
幕末における寛永寺領の朱印高と境内の面積(資料1)、明治6年と21年の寛永寺と増上寺の面積(資料2)、明治2年と推定される増上寺境内の面積(資料3)、明治10年の増上寺境内の面積(資料2)、日光東照宮の旧朱印高(資料2)、明治5年の熱田神宮の境内坪数(資料4)、伊勢神宮の上知を命じられた神領の石高と残った宮域面積(資料5)については、数値での記載がありました。
網羅的な調査、本文を精読しての調査は、当館のレファレンスサービスの範囲を超えるものでお受けできませんが、参考としてお知らせします。
資料1
手塚豊教授退職記念論文集編集委員会 編『明治法制史政治史の諸問題 : 手塚豊教授退職記念論文集』慶応通信, 1977.3【AZ-146-14】
* 大竹秀男「明治初年における寺領地処分―上野山内の処分をめぐつて―」(pp.275-306)を確認しています。
幕末における寛永寺領の朱印高が11,790石、境内が30万坪に及んだ(p.277)との記載があるほか、上野戦争後、寛永寺領地は新政府に没収されその所有地となったこと(p.278)、上野公園内に存置されることになった寛永寺関係の墓地は寛永寺所有ではなく公園からの「使用承認地」であったこと(p.294)等、寛永寺の所有地に関する記載があります。
資料2
伊坂道子 著『芝増上寺境内地の歴史的景観 : その建築と都市的空間 (近世史研究叢書 ; 36)』岩田書院, 2013.10【KA344-L29】
* 「表4 江戸三大寺院比較表」(p.17)に、浅草寺、増上寺、寛永寺について「公園指定時の面積(明治6)」、「明治21市区改正公園指定時」の坪数が挙げられています。
* 「第7章 明治期の増上寺旧境内」(pp.241-302)の「1 明治初年の混乱期」(pp.242-252)「(4) 増上寺改革と寺領上地」の項(pp.247-249)に、増上寺境内の本堂と伽藍がある地以外は所有地ではなくなり、子院・学寮の土地も増上寺には帰属しなくなった等の記載があります。また、p.268の「19 当時の増上寺境内とされた領域 『東京府下第弐大区甲 浄土宗寺院明細簿 管轄本山増上寺』明治10年12月」とある図中に「芝公園内 増上寺圖 境内七千七百四十壱坪」との記載がみえます。同図については、p.267に敷地面積、檀家数は巻末の「支院等一覧表」(pp.312-313)を参照するようにとの注があります。
* p.248に、「日光山領も旧朱印二万五〇〇〇石以上」との記載があります。
資料3
『諸宗作事図帳』【816-6】☆
* 増上寺の境内については、「百二十九増上寺本坊并学寮増頭作事絵図面 一 (浄土宗)」に、「境内總坪二拾壹万六千七百五十坪」の記載があります。
該当箇所のURL:https://dl.ndl.go.jp/pid/2572979/1/4
* 国立国会図書館所蔵『諸宗作事図帳』の増上寺部分については、『旧三縁山増上寺山内寺院・報恩蔵酉蓮社志稿』【HM156-J31】p.48に、「明治二年一月に東京府からの通達に従い調査・提出されたもの」等と紹介されています。
【HM156-J31】は、PDFファイルがインターネット公開されています。
https://core.ac.uk/download/pdf/236669398.pdf
資料4
熱田神宮文化部文化課 編『熱田神宮の歴史と文化財 : 秋季企画展』熱田神宮宮庁, [2005]【HL61-H225】
* 「68 熱田神宮境内及社殿図」(p.39)中に「社地境内坪数」の記載があります。
解説(p.64)に、同図は明治5(1872)年にあらわされた絵図で、境内外の摂末社の社殿配置を平面図であらわし、寸法・面積等を書き入れている等の説明があります。
資料5
藤谷俊雄, 直木孝次郎 共著『伊勢神宮 (三一新書)』三一書房, 1960【175.8-H987i】◎
* p.175(91コマ)に、明治4年に上知を命じられた神領の石高と、残った宮域地が皇大神宮71町余、豊受大神宮約82町におよぶとの記載があります。
〔主な調査済み資料・ウェブサイト〕
『地租改正報告書』大蔵省, 明治15【345.43-O57-2ウ】☆
* 第二款第四項「社寺地の處分」に、神社境内と定めたのが16,529町5反4畝15歩余、境外が70,670町2反3畝12歩余、寺院境内と定めたのが9,079町8畝12歩余、境外が43,743町4反5畝6歩余との記載(p.13)があり、詳細の表(pp.15-17)が収録されています。
pp.12-13のURL:https://dl.ndl.go.jp/pid/1054893/1/12
滝島 功「明治維新と社寺地処分」(『明治維新史研究』(8) 2012.2 pp.5-20【Z71-M799】)
* 境内外区分の実施について、公園地の転用を受け、境内の一部が官省用地として接収され、また、旧境内地が広域で処分に慎重を要する増上寺、寛永寺等は、区画の確定を留保したとの記載があります。また、東京府で調査の過程で作成された書類は現存せず、『地租改正報告書』に記された全体の数値を知り得るのみとの記載もあります(p.14)。
大本山増上寺 編『大本山増上寺史 本文編』大本山増上寺, 1999.12【HM156-M10】
* 「第三編 近代」(pp.359-402)と、「第四編 現代」(pp.403-567)のうち「一 戦後処理と境内地の確保」(pp.406-432)を主に確認しています。境内地に関しては、「大蔵省の関東財務局が明治以来一度も正確な実地測量をせず」との記載があります(p.426)。
東京都 編『東京市史稿 市街編53』東京都, 1963【GC65-25】
* 「明治五年十月府下寺院明細調提出」(pp.654-668)に、各宗派の境内坪数の記載があります。
大蔵省管財局 編『社寺境内地処分誌』大蔵財務協会, 1954【348.3-O6352s】◎
国文学研究資料館史料館 編『社寺明細帳の成立 (史料叢書 ; 7)』名著出版, 2004.3【HL51-H13】
* 付録に「社寺明細帳関係法令」(pp.313-352)があります。
* 「一 府藩県管内寺院本末寺号等ヲ録上セシム」(明治3年7月28日第493太政官布告)(pp.315-318)の書式中に境内坪数に関する記載があります。
* 「一三 社寺境内外区画取調規則」(明治8年6月29日地租改正事務局達乙第4号)(pp.327-328)の書式中に境内の反別に関する記載があります。
* 「一九 神社寺院及境外遥拝所等明細書式」(明治12年6月28日内務省達乙第31号)(pp.332-334)に「神社明細帳書式」、「寺院明細帳書式」があり、境内坪数の項があることを確認できます。
* 上記法令は、いずれも当館デジタルコレクションの『法令全書』内閣官報局【CZ-4-1】☆で閲覧できます。
上記太政官布告の掲載箇所:https://dl.ndl.go.jp/pid/787950/1/169
上記地租改正事務局達の掲載箇所:https://dl.ndl.go.jp/pid/787955/1/975
上記内務省達の掲載箇所:https://dl.ndl.go.jp/pid/787959/1/352
黒澤 彰哉「明治前期に作成された神奈川県下の社寺明細帳図」(『鴨台史学』(17) 2021.8 pp.1-37【Z71-F705】)
* 明治12年6月28日の内務省達乙第31号により、神奈川県下では寺社の明細帳だけでなく付属の図(社寺明細帳図)が作成されることになったこと、制作時期は明治13年と14年のみで、社寺明細帳図は明治8年の上知令を視覚的に表現したものであると思われる等の記載があります。黒澤氏が入手した131点が紹介されていますが、建長寺についてのものは見当たりませんでした。
神奈川県立金沢文庫 編『描かれた寺社 : 中世の指図と明治の社寺明細帳図 : 企画展』神奈川県立金沢文庫, 2008.12【HM111-J100】
* 「社寺明細帳図」(pp.20-41)に「寺院」の項(pp.29-41)があり、金沢文庫所蔵の鎌倉郡の寺の図版が複数紹介されていますが、建長寺のものは見当たりません。
* p.20に、明細帳には神社明細帳、寺院明細帳、仏堂明細帳、寺院仏堂宝物目録帳があり、内務省神祇院、文部省宗務課から引き継がれたものが国文学研究資料館史料館に47都道府県分が残っている等の説明があります。
* 「出品リスト」(pp.46-47)では、「寺院」の項で掲載された図版について、『神奈川県立金沢文庫蔵書目録 主題別参考文献目録 第3』【UP111-64】での番号も記載されています。
国文学研究資料館 館蔵社寺明細帳データベース(https://base1.nijl.ac.jp/infolib/meta_pub/G0036054jinjya)
* 建長寺(国文学研究資料館請求記号:138.2、簿冊内番号:19)がヒットします。
圭室文雄 監修・解説『明治初年寺院明細帳総索引 オンデマンド版』すずさわ書店, 2018.7【HM2-L41】
大霞会 編『内務省史 第2巻 (明治百年史叢書)』原書房, 1980.7【AZ-333-20】
* 「第二章 神社行政」(pp.1-61)「五 神社行政関係の諸事項」(pp.47-57)に「4 神社明細帳」の項(pp.49-52)があり、神宮・靖国神社については明細帳を作製せず、官国幣社については別途調製されていたと等の記載があります(p.49)。
『明治以降宗教制度百年史』文化庁文化部宗務課, 1970【AZ-616-5】
* 「前編(明治元年~終戦)」(pp.1-272)の「第二章 社寺領上知と地租改正」(pp.31-41)、「第六章 社寺・教会その他の設置・廃合等の取扱い」(pp.97-107)を主に確認しています。
「神社・寺院の明細帳」の項(pp.101-102)に、大正2年4月21日の内務省令6号によって神社明細帳の様式が大幅に改正され、官国幣社・府県社以下神社・招魂社・遥拝所・官修墳の5つについて改めて作成された等の記載があります。
* 大正2年の内務省令6号は、当館デジタルコレクションの『官報』1913年4月21日【YC-1】で閲覧できます。
該当箇所のURL:https://dl.ndl.go.jp/pid/2952313/1/2
長倉肇 著『東照宮神領の研究』神道神学研究会, 1974【HL61-107】
* 東照宮の神領は慶応4(1868)年に明治の新政府により没収処分を受けたとの記載があります(p.1)。
『堂塔事件訴訟記録 第2審』日光東照宮社務所, 1985.9【AZ-821-266】
* 「はしがき」(ページ付なし)によると、日光東照宮と輪王寺の間で、上社務所(旧護摩堂)、本地堂(薬師堂)等7つの堂塔の帰属をめぐる裁判の二審における主要な記録ということです。
『神宮・明治百年史 上巻』神宮司庁文教部, 1968【HL61-11】◎
* 「神宮祭典御料の整備」の項(pp.243-281)に、上知令や、神田、御園等の神領についても言及があります。
滝島功 著『都市と地租改正』吉川弘文館, 2003.12【DM125-H15】
* 第4部に「第二章 明治初年の社寺地処分と地租改正」(pp.298-320)があります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
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名古屋市史、鎌倉市史、台東区史、港区史、などの当館所蔵の地域史。
地名辞典、鎌倉古社寺辞典、古寺名刹大辞典、日本名刹大事典 など
- NDC
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- 比較宗教 (165 10版)
- 参考資料
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 人文(レファレンス)
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000329567