レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021年12月02日
- 登録日時
- 2021/12/02 10:14
- 更新日時
- 2022/03/29 15:03
- 提供館
- 福井県文書館 (9000002)
- 管理番号
- 2021-007
- 質問
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解決
福井県坂井市丸岡町の末政と福井県永平寺町の末政の関係について。
- 回答
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【丸岡町の末政】
坂井平野東部に位置し、中央を高椋用水が流れている。北は小黒村、南東は板倉村。
中世、豊原寺の末寺である乱白寺があり、1575年(天正3年)に織田信長による越前平定の際に豊原寺が焼き討ちされ、ともに滅んだと伝わる。乱白という字名が残っている。
1596年(慶長1)~1615年(慶長20)「越前国絵図」(松平文庫(福井県文書館保管) A0143-21177)では「高ほこノ郷」の内。
1598年(慶長3)7月「越前国坂北郡高椋郷内末政村御帳」(高椋節夫家文書 C0027-00114)によれば、先高562石余、出分42石余の合計604石余、屋敷7石余。上田・上畠はそれぞれ全体の8割強、9割弱を占め、名請人は24人で半数が20石以上の高持であった。
末政村ははじめ福井藩領、1624年(寛永1)から丸岡藩領。「正保郷帳」では604石余のうち田方520石余、畑方83石余。「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに同高。
【永平寺町の末政】
末正とも。福井平野の東端、九頭竜川中流右岸の扇状地に位置する。東は下合月村、北西は兼定島村。
1598年(慶長3)7月10日「(末政村検地帳)」(末政区有文書 B0028-00001)に「すへまさ村」とある。1596年(慶長1)~1615年(慶長20)「越前国絵図」(松平文庫(福井県文書館保管) A0143-21177)では上合月・下合月とともに「合月三村」に含まれている。
末政村は、はじめ福井藩領、1645年(正保2)に松岡藩領、1721年(享保6)から再び福井藩領。村高は「正保郷帳」で田方46石余、畑方181石余の合計228石余、「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに同高。
【両者の関係】
はじめは福井藩領であったことは共通しているが、それぞれが飛び地の関係であったというわけではない。
- 回答プロセス
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1.「デジタルアーカイブ福井」で資料を検索
「末政」「末正」で検索し、いくつかの資料を見つけることができた。
2.福井県の地名に関する文献を調査
福井県坂井市丸岡町の末政と福井県永平寺町の末政について、記述があった。
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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角川日本地名大辞典編纂委員会 編 , 角川日本地名大辞典編纂委員会. 角川日本地名大辞典18 福井県. 角川書店, 1995.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I107117958-00 , ISBN 9784040011806 -
日本歴史地名大系 第18巻 (福井県の地名). 平凡社, 1981.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001524184-00
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角川日本地名大辞典編纂委員会 編 , 角川日本地名大辞典編纂委員会. 角川日本地名大辞典18 福井県. 角川書店, 1995.
- キーワード
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- 末正
- 坂井市
- 丸岡町
- 永平寺町
- 松岡町
- 末正村
- 末政村
- 末政
- 福井県の地名
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査 所蔵調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000308462