レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年11月08日
- 登録日時
- 2012/11/25 10:45
- 更新日時
- 2014/04/06 14:08
- 管理番号
- 茨歴閲2012068
- 質問
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解決
徳川光圀は儒式の葬祭を行ったと『水戸市史』等に書かれているが,儒式の葬祭とはどのようなものかわかる資料が見たい。
- 回答
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ここでいう儒葬とは朱子の『家礼』に基づいた葬礼を指しています。『儒葬と神葬』という図書に朱子の『家礼』を概説した論文「朱子家礼概説」がありますので,ご覧ください。同書には「水戸の葬礼」という論文もあり,水戸藩で実行された儒葬について書かれています。
また,『近世日本における儒礼受容の研究』という図書では,第4章で光圀が士民に自葬祭を勧めるため作成した「喪祭儀略」の諸本を比較しており,その中にも水戸藩で行われた葬礼の具体例が挙げられています。
これらの図書で取り上げられている史料(「喪祭儀略」,「慎終日録」,「葬祭式」)は,当館で閲覧することが可能です。
また,「自葬」という言葉で当館のDBを検索しますと,「自葬祭之式法之文抄」《関沢賢家文書36》,「水戸自葬祭」《県立図書館所蔵史料47/133》,「書状〔仏式より自葬祭に改めるにつき達〕」《加藤繁男家文書1683》等の古文書がヒットします。こちらも閲覧可能ですので,ご覧になりたい史料がありましたら閲覧請求してください。
茨城県立歴史館 資料検索 http://www2.rekishikan.museum.ibk.ed.jp/ [last access 2012/11/25]
- 回答プロセス
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1 『水戸市史 中巻(1)』を確認。 「葬祭儀礼の改正」(pp.871-876)
僧侶の威勢を制し,無用の出費を省くため,仏式の祭礼法要に対して,儒式による葬祭を採用(p.871)
寛文元年(1661) 光圀は父頼房の葬式を儒式で実施。以来代々の藩主及びその家族は儒葬祭により実施。
墓所は瑞龍山(常陸太田市)
寛文6年(1666) 家臣のため,酒門と常葉に墓所を設け,寺院の境内地に墓を持っていた家臣も両所の中に墓を作るようになった。
墓地の広さにも制限あり。
僧侶を葬祭から閉め出すため,士民に自葬祭を勧め,その礼式の指導書「喪祭儀略」を編纂頒行。
喪祭儀略・・・朱舜水の意見を聞き,宋の朱子の『家礼』を参考に作成したもの
葬礼は瑞龍山の歴代の墓と同様の形式だが,葬祭の次第等は儒式に神式をまじえたと思われるものが多い。
2 DBを検索(検索語:儒+葬,喪祭儀略,自葬)
(1) 『近世日本における儒礼受容の研究』
第4章 水戸藩の儒礼実践-『喪祭儀略』を中心に
現存している『喪祭儀略』の諸本を分析。『喪祭儀略』には伊藤兼山葬儀が附されている系統とない系統があり,
伊藤兼山葬儀がある系統の『喪祭儀略』は,朱舜水に影響や実際に喪祭に直面して試行錯誤したことを反映した改訂版。
参考文献に『儒葬と神葬』があり,「水戸の葬礼」という論文があるらしい。→当館所蔵なし。茨城県立図書館所蔵あり。【追記】2013/07/12 現在は所蔵あり。
(2) 『儒葬と神葬』
朱子家礼概説(pp.11-35)・・・朱子の『家礼』を概説。喪礼の項目をあげ項目順に簡単に説明。
水戸の葬礼(pp.121-154)・・・頼房の葬儀は『家礼』を取捨を加えたもの←「慎終日録」(頼房の葬儀の記録)
哭・哭擗・哭踊のような本来わが国にない礼は光圀は取らなかった(p.132)
光圀は神葬で行いたかったが,神道に依るべきものがなかったため,儒葬が最も近いという
判断の下にやむなくこれを採用したが,わが国の歴史風俗に照らし取捨を加えて実行した。
栗田寛博士の葬礼説(pp.155-181)
幕末維新に於ける神葬説とその実行(pp.183-217)
源義公葬儀日録(外題・義公葬儀注)(pp.253-261)・・・光圀の葬儀の記録
(3) 当館で所蔵している「喪祭儀略」
『喪祭儀略 全』
「喪祭儀略」(土浦市博所蔵長島尉信関係文書)・・・付伊藤兼山葬儀 天保一四年尉信写
(4) 自葬→古文書で12件ヒット
「自葬祭之式法之文抄」《関沢賢家文書36》,「水戸自葬祭」《県立図書館所蔵史料47/133》,
「書状〔仏式より自葬祭に改めるにつき達〕」《加藤繁男家文書1683》等
- 事前調査事項
- NDC
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- 通過儀礼.冠婚葬祭 (385 8版)
- 関東地方 (213 8版)
- 参考資料
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- 『水戸市史 中巻(1)』 水戸市史編さん委員会編 水戸市役所 1968 《当館請求記号 K211/1/2-1》
- 『近世日本における儒礼受容の研究』 田世民著 ぺりかん社 2012 《当館請求記号 121.5/39》
- 『儒葬と神葬』 近藤啓吾著 国書刊行会 1990 《当館請求記号 121.5/41》
- 「慎終日録 1・2」(写) 《当館請求記号 常7-18》 (威公・義公・恭伯世子 天保14年平幹脩写)
- 『喪祭儀略 全』 常磐共有墓地管理委員写 常磐共有墓地管理委員 1936 《当館請求記号 Y/756》
- 「喪祭儀略」(写) 《当館請求記号 土浦市博所蔵長島尉信関係文書3》 (付伊藤兼山葬儀 天保14年尉信写)
- 「葬祭式」(弘道館蔵版) 1869 《当館請求記号 吉2-5》 (徳川斉昭が史臣に命じて編纂させたもの)
- キーワード
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- 儒葬
- 葬制
- 儒学
- 神学
- 水戸藩
- 徳川光圀
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000114857