レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年06月29日
- 登録日時
- 2013/06/29 22:45
- 更新日時
- 2013/12/06 22:07
- 管理番号
- 20130629-10
- 質問
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解決
ブルネレスキについて知りたい。
- 回答
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ブルネレスキ [日本大百科全書(小学館)]
Filippo Brunelleschi(1377―1446)イタリアの建築家、彫刻家。本名Filippo di Ser Brunellesco。フィレンツェに生まれ、同地に没。ルネサンス建築を主導したこの大建築家は、初め彫刻家を志して金銀細工師の徒弟となった。1401年、フィレンツェ洗礼堂第二(北側)青銅門扉制作コンクールで優れた力量を示すが、制作者にはライバルのギベルティが登用された(2人のコンクール提出作『イサクの犠牲』はフィレンツェのバルジェッロ美術館蔵)。これより一転して建築に専心するようになり、まもなくローマに出る。彼は透視図法の理論的研究者としても重要であるが、建築におけるプロポーション(均整)を数学的法則によって求めようとし、研究対象に古代ローマの建築構造を選んだのである。
建築史上に彼の名を不朽にしたのは、1434年に完成したフィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラ(円蓋(えんがい))設計である。ブルネレスキはクーポラを二重殻構造とし、内外殻のすきまには補助材を格子状に巡らして内外殻を固定して、重量の軽減と構造の堅牢(けんろう)化を図っている。またクーポラの下部には石材、上部にはれんがを使用して重心の配分を考慮し、基底部は鉄と木材のリングで締めて横圧力を防いでおり、さらにクーポラを支える八角形のドラム(筒状壁体)の各側面に円形の大窓を開けて、強度を減じることなしに重量の軽減を意図している。このクーポラの断面に示されるゴシック式の尖頭(せんとう)アーチ形はその構造にとって必須(ひっす)のものであったが、ローマ建築固有のもろもろのモチーフを当代の建築に復活させようとするブルネレスキの意欲は、彼のほかの設計によく示される。・・・
ブルネレスキ コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%82%AD (2013/06/29確認)
世界大百科事典 第2版
ブルネレスキ【Filippo Brunelleschi】 1377‐1446初期ルネサンスを代表するイタリアの建築家。フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂中央ドームの建設者。公証人の息子としてフィレンツェに生まれ,絹織物業組合登録の金細工師として修業したのち彫刻家となる。1401年,サン・ジョバンニ洗礼堂北側門扉のブロンズ製レリーフ・パネルの制作競技に応募,〈イサクの犠牲〉を作ってギベルティと競い,入選を逸した。このころ,同洗礼堂と市庁舎を2枚の透視図(現存せず)に描き,アルベルティが理論づけた透視図法の創始者に数えられる。
天才建築家ブルネレスキ : フィレンツェ・花のドームはいかにして建設されたか / ロス・キング著 ; 田辺希久子訳 東京 : 東京書籍 , 2002 4487797047
ブルネッレスキ伝 / マネッティ [著] ; 浅井朋子訳 東京 : 中央公論美術出版 , 1989 4805501871
ブルネッレスキ : 1377-1446 / 福田晴虔著 東京 : 中央公論美術出版 , 2011 (イタリア・ルネサンス建築史ノート ; 1) 9784805506677
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 西洋の建築.その他の様式の建築 (523 9版)
- 彫刻史.各国の彫刻 (712 9版)
- 参考資料
- キーワード
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- Brunelleschi, Filippo
- 西洋建築史
- イタリア
- 建築
- 歴史
- ルネサンス建築
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000133125