■ 回答概要
倉田水樋は本五島町(現在の五島町辺り)の乙名であった倉田次郎右衛門が発起人となり、寛文七年
(1667)に着工、延宝元年(1673)に完成した民営上水道です。明治維新後、長崎区長の金井俊行によって近代的な水道設備が整えられるまで、長崎市中心部の生活用水をまかなっていたと言われています。
詳しくは、以下の資料でご確認ください。
■ 以下の資料を、項目ごとにご紹介します。
<本で調べる>
①『長崎県大百科事典』
【長崎新聞社 編集 長崎県大百科事典出版局 編集/長崎新聞社/1984/N291.93ナ】
「倉田次郎右衛門」と「倉田水樋」の項あり。なかでも「倉田水樋」では、板樋の写真、木樋の作り方や
経路などを掲載。(p.238)
②『長崎事典 歴史編』
【長崎文献社/1988/N219.3ナ】
「倉田次郎右衛門」の項があり、倉田水樋完成までの経緯を記述。(p.195)
③『長崎県人物伝』
【長崎県教育会 編纂/臨川書店/1973/N281.9ナ】
大正8年刊の復刻。「倉田次郎右衛門」の項があり、倉田水樋が完成するまでの経緯を記述。(p.885)
④『郷土歴史人物事典 長崎』
【深潟 久 著/第一法規/1979/N281.9フ】
「倉田次郎右衛門」の項があり、倉田水樋が完成するまでの経緯を記述。(p.40)
⑤『わたしたちの郷土 人物』
【長崎県教育委員会 編集/長崎県教育委員会/1983/N281.9ワ】
「長崎水道の生みの親 金井俊行」の項で、上水道ができる前の簡易水道として倉田水樋を記述。
(p.24)
⑥『新長崎市史 第三巻』
【長崎市史編さん委員会 編集/2014/N219.3シ】
第2章第1節にある「3 都市公衆衛生の確立 上水道建設の計画」の項で、明治初期に使っていた井戸水
として倉田水樋を紹介。構造などの記述がある。(p.153)
⑦『わかる!和華蘭』
【長崎市史編さん委員会 監修/長崎市 企画/長崎新聞社 編集/長崎新聞社/2016/N219.3ワ】
「近代 都市基盤の整備 下水道整備」の項で、明治初期に使用していた水道として倉田水樋を紹介。
(p.122)
⑧『長崎游学 12』
【長崎文献社/2017/N291.93ナ】
長崎水道の父として倉田次郎右衛門が紹介されている箇所あり。倉田水樋が完成するまでの経緯や配水
経路などについて記載。倉田水樋水源跡の碑の写真も掲載されている。(p.39)
⑨『長崎の史跡 南部編』
【長崎市立博物館 編/長崎市立博物館/2002/N291.93ナ】
「倉田水樋水源跡」の項があり、倉田水樋が完成するまでの経緯が記載されている。史跡の写真も掲載。
(p.20)
⑩『長崎市史 地誌編名勝旧蹟部』
【清文堂出版/1981/N219.3ナ】
昭和12年刊の復刻版。「第二章 名勝」にある「本河内水道」の項で、虎刺拉(コレラ)について
触れた部分に倉田水樋の記述あり。(p.200)
また、「第三章 舊蹟 七、衛生工藝に関する史跡」に「倉田水樋」の項があり、倉田水樋碑についての
説明と倉田水樋の水源や配水経路、計画から役割を終えるまでの歴史について記載されている。
(p.797-804)
⑪『長崎市制六十五年史 前編』
【長崎市役所総務部調査統計課 編さん/長崎市役所総務部調査統計課/1956/N219.3ナ】
「第十四部 水道 第一章 水道」に「倉田水樋」の項あり。長崎市における水道の歴史の前半部として
倉田水樋が取り上げられ、工事の概況や欠点などについても記載されている。(p.1378-1381)
⑫『長崎市水道九十年の歩み』
【丹羽 漢吉 執筆・編集/成瀬 薫 監修/長崎市水道局/1982/N518.1ナ】
「倉田水樋」の項あり。計画から役割を終えるまでの歴史や運営体系が記載されている。
また、倉田水樋の構造と配管について図面や写真入りで解説。(p.4-8)
⑬『長崎水道百年史』
【長崎市水道局 編/長崎文献社 編集/長崎市水道局/1992/N518.1ナ】
「第2章 近代水道前史」で、倉田水樋建設の計画概要や維持管理について写真入りで掲載。また、倉田家
が代々務めた水樋支配役や、明治に入り維持管理のために設立された長崎区倉田水水利土功会による
修繕費の記録などが記載されている。(p.33-43)
⑭『NAGASAKI WATER 100』
【長崎市水道局創設100周年記念事業実行委員会 編集・企画/長崎市水道局/1991/N518.1ナ】
近代水道が創設前の水道として倉田水樋を紹介。取水地点や木樋主幹、陶管などの写真も掲載されて
いる。(p.8-9)
⑮『長崎地役人総覧』
【籏先 好紀 著/長崎文献社/2012/N219.3ハ】
「三十九.水樋支配」の項で、倉田水樋が完成するまでの経緯や営業権の変遷などを記載。
(p.181-183)
⑯『長崎文化の構造』
【柳原 政史 編集/タウンニュース社/1995/N219.3ナ】
「商人都市の構造 長崎上水道文化の継承」の項で、輝かしい上水道布設の歴史として倉田水樋を紹介。
明治20年頃に撮影された取水地点の写真も掲載されている。(p.80-81)
⑰『ながさき巡歴』
【片寄 俊秀 著/日本放送出版協会/1982/N291.93カ】
「第1章 母なる川 4 土地に刻まれた技術史」に「倉田水樋」の項あり。倉田水樋完成までの経緯や木樋
の埋設区域、明治年間に改良された幹線部分の構造について記載されている。(p.83-86)
⑱『新しいのびゆく長崎 3・4年社会科副読本 令和4年度』
【長崎市教育委員会 編集/長崎市教育委員会/2022/Na318.2ア】
「5 市の発展につくした人 せんたく1 命の水をもとめて」の項で、倉田水樋完成までの経緯を紹介。
水樋や水源などの写真も掲載。(p.198-201)
⑲『ふれあいの場から限りない前進 十年の活動と地域の歴史』
【伊良林校区連合自治会 [編] 社会福祉協議会伊良林支部 [編]/伊良林校区連合自治会/1994/
N318.8イ】
「地域の歴史」に「倉田水樋」の項があり、主水源や配水幹線、用材などについて記載されている。
倉田水樋水源地跡の碑や、碑の横に掲示されている説明文の写真も掲載。
<インターネットで調べる>
⑳「ナガジン!」(
http://www.city.nagasaki.lg.jp/nagazine/)
長崎市の文化歴史観光の情報を発信するWEBサイト。
「発見!長崎の歩き方」の以下ページに倉田水樋について掲載されている。
・「石橋が連なる中島川沿いを歩こう」(2002年6月)
倉田水樋水源跡の碑の写真とともに、倉田水樋建設の経緯について記述。
(
http://www.city.nagasaki.lg.jp/nagazine/hakken0206/index.html)
・「越中先生と行く 長崎、開港以前」(2007年2月)
越中先生と名所旧跡をめぐる記事の中で、倉田水樋水源跡の写真と倉田水樋ができたいきさつなどが
語られている。
(
http://www.city.nagasaki.lg.jp/nagazine/hakken0702/index.html)
・「日下義雄」(2016年4月6日)
日下氏が水道事業に取り組む経緯が記載されている部分に、倉田水樋による水の供給について記述
あり。主幹の写真も掲載。
(
http://www.city.nagasaki.lg.jp/nagazine/hakken/hakken1603/index.html)
インターネットの最終アクセス日は2022年12月17日です。